在サンフランシスコ日本国総領事館の歴史
令和5年9月25日
当館は米国に開設された日本の在外公館の中で最も歴史が古く、1870年 (明治3年) 8月25日に米国人Charles Wolcott Brooksが最初の領事(名誉領事) に就任し、領事館としての活動を開始しました。
サンフランシスコの街は日米交流の歴史の中でも最初から表玄関の役割を果たしてきました。幕府の遣米使節団を載せた米国軍艦ポウハタンと勝海舟らを載せた護衛艦の咸臨丸がサンフランシスコ港に錨を降ろしたのは幕末、1860年 (万延元年) のことでした。乗組員の峰吉、富蔵、源之助という3人の水夫は病気のため当地に残り、今もサンフランシスコ郊外のコルマ日本人共同墓地に眠っています。その後幕末から明治にかけて日本の近代化が進むにつれ、多くの使節団、貿易商、留学生、移民らが当地を訪れるようになり、また米国から日本に渡航する人も増えてきました。
明治政府は米国など外国との交流が本格化するに伴い、政府の出先機関、つまり公使や領事を常駐させる必要を感じていました。サンフランシスコについては、幕末から当地で日本の領事のような役割をしていた前述の米国人Brooks氏を最初の名誉領事に任命しています。もっとも当時はまだ「領事」という用語はなく、記録によれば領事はConsulの音訳である「岡士」という肩書きでした。
米国で日本を代表する外交使節団は、1870年 (明治3年) 10月5日に森有礼「少弁務使」が公使館 (現在の大使館) に着任したのが最初であり、これはサンフランシスコ領事館 (当時) 開設より1ヶ月余りあとです。領事館開設から2年後にBrooks名誉領事が退任してからしばらくは館長代理の期間が続きましたが、1876年 (明治9年) に最初の日本人領事として柳谷謙太郎が着任しました。当館が「領事館」から「総領事館」に昇格したのは1907年 (明治40年) のことで、小池張造が最初の総領事を務めています。
日米開戦の1941年 (昭和16年) 12月から当館は閉鎖されましたが、1950年 (昭和25年) 在サンフランシスコ在外事務所として再開し、サンフランシスコ講和条約締結後の1952年 (昭和27年) 4月28日には在サンフランシスコ日本国総領事館として復活しました。オフィスの場所もサンフランシスコ市内カリフォルニア・ストリートからジャパンタウン、フリーモント・ストリート、そして現在のバッテリー・ストリートと移り変わっています。 戦後日米関係は最も重要な二国間関係と言われるまでになりました。在サンフランシスコ日本国総領事館は、その地理的位置から日米交流史の様々な場面に接してきました。当館の長い歴史を振り返れば、これから21世紀の世代のために我々二国間の理解、協力、そして友情を育み、より良き日米関係を築くことができるよう願わずにはいられません。

明治政府は米国など外国との交流が本格化するに伴い、政府の出先機関、つまり公使や領事を常駐させる必要を感じていました。サンフランシスコについては、幕末から当地で日本の領事のような役割をしていた前述の米国人Brooks氏を最初の名誉領事に任命しています。もっとも当時はまだ「領事」という用語はなく、記録によれば領事はConsulの音訳である「岡士」という肩書きでした。
米国で日本を代表する外交使節団は、1870年 (明治3年) 10月5日に森有礼「少弁務使」が公使館 (現在の大使館) に着任したのが最初であり、これはサンフランシスコ領事館 (当時) 開設より1ヶ月余りあとです。領事館開設から2年後にBrooks名誉領事が退任してからしばらくは館長代理の期間が続きましたが、1876年 (明治9年) に最初の日本人領事として柳谷謙太郎が着任しました。当館が「領事館」から「総領事館」に昇格したのは1907年 (明治40年) のことで、小池張造が最初の総領事を務めています。
日米開戦の1941年 (昭和16年) 12月から当館は閉鎖されましたが、1950年 (昭和25年) 在サンフランシスコ在外事務所として再開し、サンフランシスコ講和条約締結後の1952年 (昭和27年) 4月28日には在サンフランシスコ日本国総領事館として復活しました。オフィスの場所もサンフランシスコ市内カリフォルニア・ストリートからジャパンタウン、フリーモント・ストリート、そして現在のバッテリー・ストリートと移り変わっています。 戦後日米関係は最も重要な二国間関係と言われるまでになりました。在サンフランシスコ日本国総領事館は、その地理的位置から日米交流史の様々な場面に接してきました。当館の長い歴史を振り返れば、これから21世紀の世代のために我々二国間の理解、協力、そして友情を育み、より良き日米関係を築くことができるよう願わずにはいられません。
歴代館長年譜
1870 | (明治3年) | 8月25日 | 岡士 | Charles Wolcott Brooks |
1872 | (明治5年) | 4月27日 | 岡士代理 | Horace D. Dunn |
1874 | (明治7年) | 3月11日 | 副領事 | 高木 三郎 |
1876 | (明治9年) | 12月15日 | 領事 | 柳谷 謙太郎 |
1883 | (明治16年) | 5月15日 | 領事 | 立田 革 |
1886 | (明治19年) | 3月18日 | 領事 | 藤井 三郎 |
1889 | (明治22年) | 3月1日 | 領事 | 河北 俊弼 |
1890 | (明治23年) | 11月2日 | 領事 | 珍田 捨巳 |
1894 | (明治27年) | 11月5日 | 二等領事 (のち一等領事) |
神屋 三郎 |
1898 | (明治31年) | 6月7日 | 二等領事 (のち一等領事) |
陸奥 広吉 |
1901 | (明治34年) | 2月9日 | 領事 | 上野 季三郎 |
1907 | (明治40年) | 12月9日 | 総領事 | 小池 張造 |
1912 | (明治45年) | 2月5日 | 総領事 | 永井 松三 |
1916 | (大正5年) | 6月1日 | 総領事 | 埴原 正直 |
1918 | (大正7年) | 10月7日 | 総領事 | 大田 為吉 |
1921 | (大正10年) | 1月24日 | 総領事 | 矢田 七太郎 |
1923 | (大正12年) | 5月21日 | 総領事 | 大山 卯次郎 |
1925 | (大正14年) | 1月14日 | 総領事 | 武富 敏彦 |
1927 | (昭和2年) | 12月9日 | 総領事 | 井田 守三 |
1930 | (昭和5年) | 6月24日 | 総領事 | 若杉 要 |
1933 | (昭和8年) | 11月8日 | 総領事 | 富井 周 |
1936 | (昭和11年) | 8月20日 | 総領事 | 塩崎 観三 |
1939 | (昭和14年) | 1月3日 | 総領事 | 佐藤 敏人 |
1941 | (昭和16年) | 2月20日 | 総領事 | 武藤 義雄 |
(1941年12月31日引き揚げ) |
1950 | (昭和25年) | 5月3日 | 在外事務所長 | 宇山 厚 |
1952 | (昭和27年) | 3月24日 | 在外事務所長 (のち総領事) |
田中 三男 |
(1952年4月28日総領事館再開) |
1952 | (昭和27年) | 12月16日 | 総領事 | 勝野 康助 |
1956 | (昭和31年) | 10月8日 | 総領事 | 西山 昭 |
1960 | (昭和35年) | 2月9日 | 総領事 | 八木 正男 |
1961 | (昭和36年) | 7月19日 | 総領事 | 山中 俊夫 |
1963 | (昭和38年) | 9月25日 | 総領事 | 和田 力 |
1967 | (昭和42年) | 3月1日 | 総領事 | 島 静一 |
1970 | (昭和45年) | 1月11日 | 総領事 | 原 栄吉 |
1972 | (昭和47年) | 12月21日 | 総領事 | 前田 利一 |
1975 | (昭和50年) | 2月3日 | 総領事 | 末岡 日出徳 |
1977 | (昭和52年) | 12月29日 | 総領事 | 天羽 民雄 |
1979 | (昭和54年) | 10月11日 | 総領事 | 北村 汎 |
1982 | (昭和57年) | 9月15日 | 総領事 | 西山 健彦 |
1984 | (昭和59年) | 2月6日 | 総領事 | 妹尾 正毅 |
1985 | (昭和60年) | 12月10日 | 総領事 | 有馬 龍夫 |
1988 | (昭和63年) | 1月31日 | 総領事 | 柳井 俊二 |
1990 | (平成2年) | 8月31日 | 総領事 | 時野谷 敦 |
1994 | (平成6年) | 3月4日 | 総領事 | 加藤 良三 |
1995 | (平成7年) | 9月1日 | 総領事 | 七尾 清彦 |
1998 | (平成10年) | 2月19日 | 総領事 | 田中 均 |
2000 | (平成12年) | 2月11日 | 総領事 | 田中 信明 |
2002 | (平成14年) | 3月9日 | 総領事 | 中村 滋 |
2004 | (平成16年) | 3月26日 | 総領事 | 山中 誠 |
2007 | (平成19年) | 9月9日 | 総領事 | 長嶺 安政 |
2010 | (平成22年) | 9月23日 | 総領事 | 猪俣 弘司 |
2013 | (平成25年) | 11月2日 | 総領事 | 渡邉 正人 |
2015 | (平成27年) | 5月22日 | 総領事 | 山田 淳 |
2018 | (平成30年) | 2月23日 | 総領事 | 宇山 智哉 |
2020 | (令和2年) | 2月10日 | 総領事 | 前田 徹 |
2021 | (令和3年) | 9月9日 | 総領事 | 川村 博司 |
2022 | (令和4年) | 9月8日 | 総領事 | 野口 泰 |
2023 | (令和5年) | 9月25日 | 総領事 | 大隅 洋 |
関係年譜
1848年 | サクラメント川流域で金鉱発見、ゴールドラッシュ開始(1849年) |
1850年 | カリフォルニア州誕生 |
1860年 (万延元年) | 咸臨丸来航 |
1868年 (明治元年) | 明治維新 |
1869年 (明治2年) | 大陸横断鉄道完成 |
1870年 (明治3年) | 在サンフランシスコ領事館開設、駐米公使館開設 |
1906年 (明治39年) | サンフランシスコ大地震、当館被災 |
1907年 (明治40年) | 領事館から総領事館に昇格 |
1924年 (大正13年) | 排日移民法実施 |
1929年 (昭和4年) | 世界大恐慌 |
1937年 (昭和12年) | ゴールデン・ゲート・ブリッジ開通 |
1939年 (昭和14年) | 第2次世界大戦勃発 |
1941年 (昭和16年) | 日米開戦、当館引揚 |
1945年 (昭和20年) | 終戦 |
1950年 (昭和25年) | 在外事務所として再開設 |
1951年 (昭和26年) | サンフランシスコ講和条約締結 |
1952年 (昭和27年) | 総領事館として復活 |
1968年 (昭和43年) | 総領事館に広報文化センター (Japan Information Center) 開設 |
1988年 (昭和63年) | 総領事館、日本町からフリーモント・ストリートへ移転 |
1989年 (平成元年) | サンフランシスコ地震 |
1996年 (平成8年) | 当館ホームページ開設 |
2014年 (平成26年) | 総領事館、フリーモント・ストリートから現住所へ移転 |