総領事便り

令和5年11月20日
総領事便り 2

令和5年(2023年)11月20日
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
 
 11月12~17日、当地でAPECが開催されました。首脳会議、閣僚会議、財務大臣会合及び関連会合出席のため岸田総理、貴大臣、西村経産大臣(当時)、新藤大臣(TPP、経済再生他担当)、矢倉財務副大臣に当地を来訪いただきました。APEC関連会議、IPEF閣僚会合、日米経済2+2などの一連のマルチの会合はもとより、岸田総理、上川大臣を始めとして精力的にバイ会談を実施されました。
 皆さんのご関心がそれなりにあり、かつ私の方でも皆さんに、仕事に身近である話題もない話題もそれなりに知っていただきたいこともあり、以下記しています。ご笑覧ください。
 
総理および大臣の訪問の成果(当館の視点から)
 APECの総括については、東京が一義的に行うものですし、報道でもかなりカバーされました。私自身は、サンフランシスコに係るイベントに参加しましたが、総理及び各大臣には、知的交流、日系人との関係、経済及びテクノロジー、水産物輸出等各方面で精力的に活動いただいた成果があったと感じましたので、それについて若干触れさせていただきます。
 
  • 知的交流については、17日、スタンフォード大学において、岸田総理が尹韓国大統領とともにスタートアップとの車座、首脳ディスカッションに臨まれましたが、外交的及び政策的に意義のあるイベントが当地の看板大学で行われたことで非常にビジビリティが高かったと感じます。
  • 日系人との関係については、上川外務大臣が、13日に日本町を訪問し、日系社会のリーダーの方々と懇談をされました。リーダーの方達は、大臣の心のこもった対応および意味のある対話に非常に喜ばれていました。また、上川大臣は、講演のイベントでも若手日系人とも交流されていました。
  • テクノロジーについては、西村経産大臣(当時)が、12日にシリコンバレーで、海外展開を目指す日本のスタートアップを支援する拠点となるジャパン・イノベーション・キャンパスの開所式に出席されましたが、同キャンパスの開所は当地でも話題になりました。
  • 経済については、新藤大臣が、14日に当地有力経済団体ベイ・エリア・カウンシル主催のジャパン・ナイトに出席しました。揺れる船の上で、「Are you shaking?」とジョークを交え挨拶され大いに喝采を浴びていました。
  • 水産物輸出では、岸田総理大臣が、16日に行われた日本産水産物のPRイベントに出席し、北海道産のホタテ等を堪能し、輸出拡大への安全性をアピールしています。提供する料理のメニューは、ミシュランガイドで三つ星を獲得した地元レストランのシェフ、カイル・コノートンさんが考案していました。
 私達総領事館としては、この成果をフォローアップして、今後の活動に活かしていきたいと考えています。
当地の話題:米中首脳会談
 なお、習近平主席が来訪し、15日に米中首脳会談が行われたことは地元でも特に大きく取り上げられていました。街中では法輪功やチベット系団体等がデモを行っており、首脳会談は郊外の広大な庭園で行われました。様々な解説が行われていますが、4時間も首脳同士が議論したこと自体の意義は高かったのではないでしょうか。また、米国ではフェンタニルの被害が深刻化しており、サンフランシスコで問題になっているホームレス問題にも直接に関係しています。これについて中国が協力の意思を示したことは比較的大きく取り上げられています。
 なお、習近平主席は15日に当地でテスラ、アップル、ブラックストーンのCEO等約400名が参加した夕食会に出席(U.S.-China Business Council とNational Committee on U.S.-China Relationsが主催。料金は一人2000ドル)し、中国は外国企業を歓迎しているというメッセージを発出していました。
 ちなみに、17日朝に、地元選出のナンシー・ペロシ元下院議長が開催した朝食会には11名のカルフォルニア選出下院議員が勢揃いした中に混じり、グレゴリー・ミークス下院外交委員会民主党筆頭理事が出席しスピーチしましたが、ワシントンの対中の雰囲気を反映した内容となっており、当地の空気との差が感じられました。
 

「サンフランシスコが前回大規模な国際会議を開催したのは何時なのだろうか」
 地元紙でも話題になり、東京からの出張者にも聞かれましたが、当地的には1945年4~6月に開催され国連憲章の採択に至ったサンフランシスコ会議(United Nations Conference on International Organization)以来だそうです。当時、五大国に拒否権を認めるか、憲章上認められる強制行動について安保理ではなく総会に権限を委ねるべきではないか、集団的自衛権も認めるべきなどで激論があったそうです。
 ブリード・サンフランシスコ市長は、しかし、1951年のサンフランシスコ講和会議にも言及しています。1951年9月7日(当地時間)夜に平和条約受託演説を行った吉田茂首相は、その最後に、「私は最後に過去を追懐し将来を展望したいと思います。日本は1854年アメリカ合衆国と和親条約を結び国際社会に導入されました。その後1世紀を経て、その間2回にわたる世界戦争があって、極東の様相は一変しました。6年前に桑港に誕生した国際連合憲章の下に数多のアジアの新しき国家は相互依存して平和と繁栄を相ともに享受しようと努力しています。私は国民とともに対日平和条約の成立がこの努力の結実のひとつであることを信じ、且つ、あらゆる困難が除去されて日本もその輝しい国際連合の一員として、諸国によって迎えられる日の一日も速からんことを祈ってやみません。何となれば、まさに憲章そのものの言葉の中に新日本の理想と決意の結晶が発見されるからであります。」と言及しています。
  

「サンフランシスコは、本当にAPECを開催できるだろうか」
 一人のサンフランシスコ市議から、こう聞かれました。コロナ禍に伴うテレワーク普及と中心部の空室率の上昇、ホームレスと薬物問題の深刻化等でサンフランシスコには逆風が吹いています。ブリード市長自身も来年の選挙で過去5年の施政への評決が下されます。直前に日本町のイベントで市長がTVインタビューを受けるのを隣で聞いていましたが、デモや市民生活への悪影響を問われた同市長は、「問題が色々とあれど、我々はAPECを成功裡に開催できる!」と防戦一方でした。
 そのような中であって、何とか開催に成功した、というところでしょうか。諸イベントは粛々と行われ、米政府関係者のみならず、州知事、市長等が愛嬌をふりまいていました。デモでベイ・ブリッジで4時間に渡り車が動かなくなったということはありましたが、会議の進行が妨げられる事態は発生しませんでした。事前の通知が功を奏したのか、車も比較的少なかったと思います。
 17日の朝食会で、別の市議の一人から、「APECを上手く開催できたと思うか。」と聞かれました。「Yes」と答えておきました。
13日、上川外務大臣と日系人の懇談記念撮影(於:北カルフォルニア日本文化コミュニティセンター)
日系人の皆さんと懇談される上川外務大臣
終わりに
 最後に私自身ですが、首脳・大臣レベルの会合なので「落穂拾い」に徹しようと思っていましたが、空港での送迎に始まり、案内、イベントの司会、代理出席、要路への現地事情のブリーフなど、結構てんてこ舞いでした。たまたまこの時期に来訪された山本一太群馬県知事には、空港内のターンテーブルの前に椅子が全く無いので、「立ったまま」ブリーフもさせていただきましたが、山本知事もブログで、「立ったままのブリーフは初めてでした」と書かれていました。
 その他にも、ドキュメンタリー映画「灯籠流し」(自らが被爆者で歴史研究家の森重昭さんと原爆で亡くなった米軍兵士の家族の交流を描いたもの。なお、森氏はオバマ大統領が2016年に広島を訪問した際に抱擁した方)の上映会や、MIS歴史教育センター(MISは米軍情報部のこと。戦中に米軍は日系アメリカ人を語学専門家として秘密裏に教育し、戦地及び占領中に通訳・翻訳作業に従事させた)10周年記念で挨拶させていただきました。
 着任直後でヒヤヒヤではあったわけですが、総領事館のスタッフ及び大勢の皆様のご支援を受け重要な仕事に関与させていただきました。誠に有り難きことで、視野も広げさせていただきましたので、この経験を今後の活動に役立てていきたいと思っています。
 
 17日金曜日夕、総理の搭乗された政府専用機の離陸とともに雨は強くなり、翌18日に一日中降り続いた雨により、「あの熱気」は流され、サンフランシスコの街は落ち着きを取り戻してきています。
 アメリカは今週は感謝祭の週。クリスマスもその後に控えています。「熱いうちに鉄は打ちつつ」も、来年に向けて沈思して構想を練りたいと考えています。
 
 師走に入りますが、久しぶりのコロナ無しの忘年会の季節、無理なさらずにご自愛くださいませ。
 

16日、水産物PRのイベントに来場された日系人の方々に出口に集合し待ち構えてもらい、 岸田総理にお願いし、握手して写真を撮って頂きました。 総理はとても和かで、日系人の方々にはとても喜んでいただきました。
14日ベイエリア・カウンシルの船上レセプションでの新藤大臣の挨拶
(ナンシー・ペロシ元下院議長と。新しい総領事ですと挨拶したところ「私とお近所よ」と気さくでした。) ナンシー・ペロシ元下院議長と。新しい総領事ですと挨拶したところ「私とお近所よ」と気さくでした。