総領事便り

令和7年2月24日
総領事便り18
~姉妹都市関係の潜在力(クレセントシティを訪問して)~
 
令和7年 (2025年) 2月24日
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
 

 今年4月13日~10月13日まで大阪・関西万博が開催されます。事前広報でマスコットのミャクミャクがサンフランシスコの日本町を練り歩いたりしてくれています。大阪は日本観光で欠かせない大人気の街なので、一度行ったという米国人も多いですが、周りの友達には、この機会に是非と言って、再訪も含め訪問を薦めてみてください!

 さて、9月16~19日、大阪府泉佐野市で日米姉妹都市サミットが行われます。全米国際姉妹都市協会が1~2年に一度海外にて行うイベントで、今回は万博に「合わせ」、日本で開催されます。

 姉妹都市は、第二次大戦の戦禍もまだ癒えない1956年にアイゼンハワー大統領が、市民外交イニシアチブの「ピープル・トゥー・ピープル」(市民と市民)を提案したことで開始されました。現在、日本と米国の間に姉妹都市関係は約460あり、カリフォルニア州一つだけでその4分の1に当たる約110の姉妹都市があります。

 私もいくつか姉妹都市関係のイベントに出てきましたが、なかなか感動的です。一例を申し上げれば、
  • シリコンバレーのサニーベール市は福岡県飯塚市の姉妹都市ですが、昨年3月末に飯塚市の中高生20名が春休みを使って訪問してきました。当日は、サンフランシスコ空港到着から一行を乗せたバスの動きが歓迎式会場に刻々と実況中継され、バス到着時には市長を含め集まった市民総出の歓迎を受けました。この姉妹都市関係の立役者でもあるマーク・カトウさんによれば、到着時には少し緊張している飯塚の子供達も一週間後の出発の別れの時には涙涙となるそうです。
  • 太平洋に面するサンタクルーズ市と和歌山県新宮市の姉妹都市提携のきっかけは1974年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校の学生3人が、新宮市に在る熊野塾で合気道を学び新宮市に1年間滞在したことです。姉妹都市提携50周年の昨年10月に田岡市長一行15名が来訪し交流レセプションが開催されました。サンタクルーズ市側の歓迎委員が余興として熊野節を披露した際には、田岡市長も唱和する心温まる一場面もありました。
  • ベイエリアにあるコンコード市は岩手県北上市と姉妹都市関係にあり、提携50周年に当たる昨年、八重樫市長を団長とする北上市の訪問団38名が来訪しましたが、八重樫市長自身がホームステイをするという熱の入りようでした。北上市は、スタンフォード大学野球部でプレイする佐々木麟太郎選手の出身地でもあります。
  • ソノマ郡にあるセバストポール市は佐賀県武雄市との姉妹都市関係が今年で40周年を迎えました。昨年春に中学生がホームステイにやってきましたが、訪問団員の父兄でもある引率の一人が28年前に同じプログラムで来訪したとのこと。翌年ホームステイ先として武雄市で受け入れたセバストポールの高校生と互いに薄くなった髪を指さし合い?ながら再会を喜んでいました。市内にある園満寺で日系コミュニティのリーダーから、日系人強制収容の歴史についても学んでいました。
  • クパチーノ市は愛知県豊川市との姉妹都市関係にあります。当館で勤務するサブリナ職員もモンテビスタ高校時代に姉妹都市交流プログラムで豊川市を訪問したのが、その後の日本の大学への留学、総領事館での勤務ということにつながったといいます。クパチーノ市の姉妹都市協会は、広島及び長崎への原爆投下と豊川空襲への哀悼として鐘を鳴らす式典を毎年開催していますが、昨年8月の式典では直前に豊川市を訪問した高校生も、現地で寄贈された着物姿で出席してくれました。
  • 北カリフォルニア州の最新の姉妹都市関係は、サンフランシスコ近郊のデイリーシティ市と泉佐野市で、昨年7月に泉佐野市の千代松市長が来訪して、姉妹都市協定に署名しました。千代松市長は学生の時にデイリーシティに滞在した経験があるとのことで、当時毎日お世話になり下宿までした食堂Tani’s Kitchenの老夫婦も式典に招待されていました。そして泉佐野市は今年9月の日米姉妹都市サミットのホスト市となります。
  • カリフォルニア州ではCJSCN(カリフォルニア日本姉妹都市ネットワーク)という団体がカリフォルニア州に所在する姉妹都市間の連携を深めるための活動をしています。サンフランシスコ及びロサンゼルスの総領事館はCJSCNと協力しており、昨年12月のレセプションでは、JETプログラム同窓生や日本語クラスを受講している高校生も招き、姉妹都市交流について理解を深めてもらっています。このレセプションには、泉佐野市と姉妹都市協定を締結したデイリー市のジャスリン・マナロ市長(当時)も参加してくれました。
Crescent City-Rikuzentakata Milage Sign
Sign at Crescent City park about Kamome Boat
 そして、今年2月、私はカリフォルニア州の北西端に位置するデルノルテ郡クレセントシティを訪問しました。同市は、2011年の東日本大震災の際に岩手県立高田高校の実習船「かもめ」が太平洋を横断して13年4月に漂着したところで、それがきっかけとなり姉妹都市となったことはご存知の方もいると思います。当初ふじつぼが大量に付着してあまりの悪臭に誰も始末しようしなかったのを、第一発見者のデルノルテ郡保安官補が息子に『船の登録タグを見てみると「高田高校」と書いてありどうも日本の高校の実習船という話だ、同じ高校生のお前がデルノルテ高校からボランティアを募ってきれいにしたらどうか』と言ったのが話の始まりで、6人の高校生ボランティアは何の対価も得ようともせずに船をきれいにしたところ、陸前高田市の方から実習船「かもめ」に戻ってきてほしいとの声が届き、とうとう彼ら自身が陸前高田市と高田高校を訪問し、温かい歓迎を受けました。アメリカの田舎で育った彼らが、東京ではケネディ駐日大使に会い、陸前高田市では町を挙げての歓迎を受け、日本のメディアから幾多の取材をされる経験をしたとのことで、そして2018年には姉妹都市提携締結に至りました。クレセントシティはサンフランシスコから車で6時間、レッドウッドの鬱蒼とした森を越えたところにある港町で、確かに三陸海岸と風景も似ており、両市は「お似合い」なのかもしれません。海沿いの公園の中には、陸前高田市との姉妹都市を記念した壁画があり、陸前高田市まで4684マイルという標識も建てられていました。観光センターでは、「The Extraordinary Voyage of Kamome: A Tsunami Boat Comes Home。いつまでもともだちでいようね」という絵本が売られていました。
 今年1月には高田高校から約10名の高校生が短期訪問したばかりですが、随行した黒岩副領事によれば、一行は高校を挙げて歓迎されるなど、日本との姉妹都市交流が根付いており、また姉妹都市交流を支える運営者には、地元の教育長や元保安官補など地域の有力者が多数含まれており支援層の厚さが窺われたとのことです。また、訪問した学生はホームステイ先の学生とバディを組み授業に参加したほか、デルノルテ高校で開催されたバスケットボール大会やコンサートの観覧、森でのトレッキング、地元のネイティブアメリカン文化の説明など、現地の文化を幅広く経験したこと、そして、時間の経過とともにまずホームステイ先の学生と交流できるようになり、次いでその他の学生とも会話することで交流の輪を広げており、中には帰国後も連絡を取り合いたい旨の申し出を受けた者も複数あったとのことです。  
 私が訪問で何よりも感銘を受けたのは、関係者が将来を見据えて計画を立てていることです。姉妹都市交流はどこも後継者問題がありますが、彼らは姉妹都市関係の持続的な成長のためには単に学生交流にとどまらず次世代を育てることが重要との認識で、地元デルノルテ高校に日本語クラスを創設すべく、陸前高田市からの教師派遣を調整しています(相互的に英語教師を陸前高田市側に派遣することとセット)。現在のカリフォルニア州での日本語クラスの課題は「維持」ですが、このように「新設」するということを真剣に考えて進めてくれていること自体刮目に値します。ちなみにクレセントシティには日系人はほぼいません。また、クレセントシティが所在するデルノルテ郡のハワード郡議会議員は、地元のの酪農場経営にフルタイムで参画し、生物学者としての知見により酪農場の乳製品を全米有数の有機乳製品ブランドに仕立て上げるのに貢献した人物として、そのビジネスマインドにより、姉妹都市関係の持続性のために経済関係の強化と、観光資源に乏しいと思われがちな一地方都市である陸前高田市のインバウンド集客支援を考えてくれています。姉妹都市関係の新機軸とも言えるそのユニークな構想力は注目に値すると思います。

 姉妹都市交流は、JET、日本語教育、日系人と相並び合い時に助け合う、草の根交流の重要な柱と感じています。その原点の若者交流は、多感な中高生の段階で最初の刺激と衝撃を若者達に与えるという意味で、極めて重要な意義があると感じています。そして、今回のクレセントシティ訪問はその将来の方向性についても重要な示唆を与えてくれたものでした。今後ともどのような支援をしていけるかについて、総領事館としても試行錯誤しながら努力していきたいと思います。