総領事便り
令和6年3月15日


総領事便り 6
令和6年 (2024年) 3月15日
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
2月22日(日本時間で23日)、令和6年の天皇誕生日祝賀レセプションを実施しました。今日はその報告をいたします。
天皇誕生日祝賀レセプションの意義
ナショナルデー・レセプションは、どの国の在外公館にとっても最大の年中行事です。アメリカは独立記念日の7月4日、フランスは革命記念日の7月14日と実施日は国それぞれですが、我が国は天皇誕生日の祝賀ということで、現天皇陛下の御誕生日である2月23日の前後に実施しています。
ところがこの時期は旧正月の春節が重なることがしばしばあります。サンフランシスコ市は人口の2割が中華系ということで、今年は旧正月である春節が同じ週に祝われていたこともあり。来訪者の中には、「ハッピー・ニュー・イヤー」と勘違いして挨拶してくる方もいました。
そこで、私は、スピーチの中で我が国の皇室が悠久の歴史を持ち、現天皇陛下が126代目に当たること、国の象徴及び国民統合の象徴であること、令和5年の天皇皇后両陛下ご結婚満30年に際してのご感想で、「国民と苦楽を共にするという皇室の在り方が大切であるとの考えを今後とも持ち続けていきたい」と述べられたこと、その言葉そのままに、皇太子殿下時代の平成23年(2011年)に東日本大震災が発生した後の被災地ご訪問では、避難所の被災者の前にひざまずいていたわりのお気持ちを伝えられ、日本国民に深い印象を与えたこと、今年初めの能登地震に際しても亡くなられた方々にご哀悼の意を表し、遺族と被災者の方々に心からのお見舞いをされたこと、に触れさせていただきました。スピーチの最後には、陛下の即位後の朝見の儀(令和元年5月1日)に述べられた「国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。」というおことばを紹介して締め括らせていただきました。
ナショナルデー・レセプションは、どの国の在外公館にとっても最大の年中行事です。アメリカは独立記念日の7月4日、フランスは革命記念日の7月14日と実施日は国それぞれですが、我が国は天皇誕生日の祝賀ということで、現天皇陛下の御誕生日である2月23日の前後に実施しています。
ところがこの時期は旧正月の春節が重なることがしばしばあります。サンフランシスコ市は人口の2割が中華系ということで、今年は旧正月である春節が同じ週に祝われていたこともあり。来訪者の中には、「ハッピー・ニュー・イヤー」と勘違いして挨拶してくる方もいました。
そこで、私は、スピーチの中で我が国の皇室が悠久の歴史を持ち、現天皇陛下が126代目に当たること、国の象徴及び国民統合の象徴であること、令和5年の天皇皇后両陛下ご結婚満30年に際してのご感想で、「国民と苦楽を共にするという皇室の在り方が大切であるとの考えを今後とも持ち続けていきたい」と述べられたこと、その言葉そのままに、皇太子殿下時代の平成23年(2011年)に東日本大震災が発生した後の被災地ご訪問では、避難所の被災者の前にひざまずいていたわりのお気持ちを伝えられ、日本国民に深い印象を与えたこと、今年初めの能登地震に際しても亡くなられた方々にご哀悼の意を表し、遺族と被災者の方々に心からのお見舞いをされたこと、に触れさせていただきました。スピーチの最後には、陛下の即位後の朝見の儀(令和元年5月1日)に述べられた「国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。」というおことばを紹介して締め括らせていただきました。


ペローシ元下院議長
正面に立っておられるペローシ元下院議長が私のスピーチを聞き入ってくれているのは、その瞳や表情からも伝わってきました。
来賓として壇上に立ったペローシ元下院議長からは、天皇陛下誕生日への祝辞があり、また2015年に旭日大綬章受章にあたり当時の天皇陛下(現上皇陛下)に拝謁した時の感動など皇室との関係についての言及もありました。これで会場を天皇誕生日祝賀に相応しい華やかなものとなり、みなさん、「Happy Birthday for the Emperor!」の一色となりました。
また、ペローシ元下院議長は、地元サンフランシスコの日本町、そして日系コミュニティを誇りに思うと述べられました。そして2008年G8下院議長会議の際の訪日時の広島平和記念公園訪問が2016年のオバマ大統領広島訪問につながったこと、ワシントンDCのポトマック川の桜を見ようと全米から人が押し寄せること、来たる4月に岸田総理が「国賓」として米国を訪問すること、日米の友情と未来に向けた協力が進んでいることなど、さすが大政治家らしく生き生きと語ってくれました(ペローシ元下院議長が今回来られたのは野口前総領事等の日々の努力の結果です)。 そして他の来賓スピーチ後に、法被を着用しての「鏡開き」では、たいへん楽しそうに木槌で樽の蓋を「割って」いました。
その後の「餅つき」も初めてとのこと。お囃子が聞こえてくるテラスの方に誘導すると、蒸したもち米の入った木臼の周りを地元鏡会の方々が足踏みし回りつつ、各々が持った細長い木の棒でもち米をこねていきます。すっかり粘り気が出たもちのかたまりを最後は神々に捧げるように棒で持ち上げ、ストンと木臼に落とします。ここから餅つきの開始。木臼に入った餅を杵でペッタンペッタンとつく手と、餅を寄せたり裏返しをする返し手が、「えぃ」「ほぃ」と声をかけ合いながら餅をついていくところで、ペローシ元議長も手拍子で応じてくれました(秘書官が時間を気にして途中こちらをチラチラと見ていましたが)。私は、ペローシ元下院議長がお餅を試食してくれるとことを期待していたのですが、彼女はそれを食べただけでなく、とても楽しんでいるように見えました。できたてのお餅の味は彼女の好みに合ったようで、日本の伝統を一緒に楽しむことができてほっとしました。
それにしても、ペローシ元下院議長は抜群の存在感で、カルフォルニア州議会議員、地方自治体の首長などが続々とあいさつに詰めかけていました。こうした光景は、米国人、領事団も含め来訪者に強い印象を与えていました。
ペローシ元下院議長は、昨秋に当地アジア美術館で開催され話題となった京都大徳寺秘蔵の「柿」「栗」の水墨画展を鑑賞し、ちょうど来訪した大徳寺住職を迎えた昼食会にも出席しています。スピーチの中でも日本芸術の美にわざわざ言及していました。とても好きなのだと感じました。同水墨画展についての拙稿の「便り4」を英文にして渡したところ、早速車の中で読み始めてくれていたようです。


宣誓書、草の根ボランティア、サンフランシスコ市庁舎での日の丸掲揚とライトアップ
総領事館の主要な任務の一つに、地元の州レベル、地方自治体レベル、そして草の根レベルでの関係を密にするというものがあります。今回、カルフォルニア州議会からサンフランシスコ選出のウィナー上院議員、イーストベイ内陸選出のグレイザー上院議員、ナパ等選出のドッド上院議員及びサンマテオ等選出のベッカー上院議員が、その他サンフランシスコ周辺の自治体から4市長を含む合計13名の公選職がレセプションに参加してくれました。また、草の根交流の姉妹都市関係者も多数参加してくれました。
当館の管轄地は北カルフォルニアとネバダ州で、昨秋にネバダ州で日本祭りに参加したときにネバダ州選出連邦議員の代理という方から宣誓書というものをいただきました。米国では何かのイベントの際に主催者や来賓等に対して表彰状を渡す習慣があるようです。昨秋の未だ着任して1ヶ月も立たない頃だったのですが、それはそれで総領事館及び我々の活動を支えてくださっているネバダ州の日本人、日系人の皆さんのおかげと思いいただいた次第です。
今回の天皇誕生日祝賀レセプションにおいては、3月末に予定される州議会上院の訪日団を率いる上院民主党院内総務のゴンザレス上院議員(ロングビーチ等選出)からの天皇誕生日を祝う宣誓書が出席上院議員から読み上げられました。 近年では2022年にカルフォルニア州のニューサム州知事と冨田駐米大使(当時)が協力文書に署名し、23年にはクナラカス副知事を団長とする約100人の大代表団が来日しています。カルフォルニア州議会上院もこれまで長い間訪日団を送ってくれており、下院側も対日交流に積極的になってきています。日本では参議院に日カルフォルニア友好議員連盟が2014年に結成されており、相互交流が盛んで、衆議院側からも伊藤達也議員、長島昭久議員が1月にサクラメントを訪問しています。宣誓書の読み上げはこれらの関係緊密化を反映したものと思います。


デイリーシティ市長、ミルブレー市長も宣誓書を持ってきてくれました。実はカルフォルニアには在ロサンジェルス総領事館管轄も含め100を超える姉妹都市があり、デイリーシティ市はこれから大阪府泉佐野市と姉妹都市関係を樹立する予定になっています。デイリーシティ市はフィリピン系がとても多く、女性市長もフィリピン系らしく陽気に宣誓書を読み上げてくれて会場は大いに盛り上がりました。 このような姉妹都市関係は、草の根レベルでのボランティア活動が下支えしており、そしてこれらの交流が日米関係の地盤を強固にしてくれています。彼らの献身は称賛に値することと思いましたので、私のスピーチの中で感謝を申し上げたところ、草の根関係者の一人から、「言及してくれてありがとう」との言葉がありました。なお、スピーチの中で、私から自治体首長達へのメッセージとして、地元小中高校での日本語クラス維持のための協力を訴えています。
レセプションでは、大阪・関西万博に関連して、サンフランシスコ市のAPEC開催成功にも祝意も申し上げました。サンフランシスコの港に入るゴールデン・ゲート・ブリッジの手前の丘には、咸臨丸来航百周年を記念した立派な碑が立っていますが、これは大阪市の寄贈ですし、日本町のランドマークのパゴダもそうです。 翌23日にはドーム様式の華麗なサンフランシスコ市庁舎で日の丸掲揚式がありました。同市は、ナショナル・デーを迎えた各国の代表を招いて各国の国旗を掲揚し、夜にはその国旗の色に市庁舎をライトアップしています。市庁舎バルコニー2階で儀典長(市長代理)とともに日の丸を掲揚しました。「それではどうぞ」と言われ、君が代も参加した日本人及び日系人の代表の方と一緒に歌いました。
私も、これまで赴任した国6カ国6都市でこのような「おもてなし」を受けたのは初めてで、そこまでするのかと少し驚きました。


日本の地方活性化、福島復興
私は旅行好きで、日本も47都道府県全部訪問していますが、日本にいたときは国内を家族旅行するたびに、「日本の地方はなんと素晴らしいんだろう」と語り合っていました。
当地に来ても、日本の農水産物輸出のためのプロモーションを積極的に行っていますが、物産品だけでなく、そこに「生きる人たちの魅力」に触れてもらい、「あの人に会いたい」と思って日本の地方を訪れてもらう、そして、それをスケールアップしてビジネスとして地方経済の活性化に繋げていけたらいいと強く思っています。
今回のレセプションも日本の地方の振興に是非役立てたいと思っていたところ、福島県の復興PRとして、経済産業省福島事業・なりわい再建支援室による協力を得て、同県飯舘村のレストランを経営する佐々木千榮子氏及び佐々木かおり氏にレセプションに参加頂き、自家製造のどぶろく「白狼」紹介ブースで直接来訪者に振舞ってもらうことができました。(その他、東京電力ホールディングス福島復興本社による協力を得て、福島県産米「天のつぶ」を使用した寿司を提供しつつ、その試供品を特別ブースで来客に配布しました。)
私のスピーチでは福島については三箇所で触れました。その際に、スピーチを手伝ってくれた現地職員からFukushimaではなくFukushima Prefectureと言うようにとのアドバイスを受けました。やはり震災の時のイメージがまだまだ強いようです。福島のイメージをどう変えていくか。
私は最近当地で、1869年に最初に到着した日本人移民の居住地「若松コロニー」を紹介しています。若松コロニーはまだお伺いできていませんが、サンフランシスコから車で内陸に二時間以上入ったところにあるそうです。私は最初、若松という人名なのかと思いましたら、福島県の内陸にある会津若松とのこと。戊辰戦争後、「再起をかけて福島からカルフォルニアにやってきた最初の日本人移民」が、ゴールドラッシュが盛りを過ぎた内陸地に移住してきたということのようです。また、カルフォルニア州では、気候変動対策とクリーン・エネルギー推進が州是となっていますが、福島が日本の再生可能エネルギー、水素エネルギーの中心地ということも当地でのイメージ向上に役立つだろう潜在力を感じています。
今回、二人の飯舘村の女性が長途サンフランシスコまで来られ、展示ブースの中でどぶろくを紹介してくれたのは、画期的でした。「その土地で生きて、必死に頑張っている人が目の前にいる」ということ以上に心に訴えかけるものはないと思いました。私も、ミルブレー市長(サンフランシスコ国際空港近辺の郊外ベッドタウン)をブースに連れていき、彼女達のことを説明しました。この中華系の新任の市長、さすが政治家ですね。「あなたたちがここに来てくれてありがとう。素晴らしい。頑張ってほしい。」と激励の声をかけ、ドブロクもグイッと美味しく飲んでくれました。二人の飯舘村の女性達も感激していたので、一緒に記念写真も撮り、持って帰ってもらいました。レセプションの後、妻も声をかけ、総領事夫人会会長のルクセンブル総領事夫人達とも写真を撮ってもらいましたが、「今度帰国することがあれば、時間があれば飯館村に来てくださいね。」とのことでした。 このような元気に生きる姿こそ、今後、福島のイメージにとって意義深いものと感じた次第です。
新年会(1月31日)について
当館においては、公邸のスペース上の都合から、米国人、領事団、日系人の方々を中心にお招きする天皇誕生日祝賀レセプションとは別に、在留邦人の方々を中心に招待する新年会を別途実施しており、今年は1月31日に実施しました。
新年会でのスピーチは、冒頭で、年初の能登半島地震へのお見舞いを申し上げるとともに、昨年の回顧ということで、当地では1945年の国連創設会議以来の大会議だった昨秋のAPECについて、岸田総理、上川外務大臣の動きを中心に紹介しました(詳細は「便り2」参照)。また、今年の重点目標として、しっかりした領事及び様々なサービスの提供と皆様とのコミュニケーションの強化、日系アメリカ人との紐帯の維持・強化及び彼らと在留邦人との横の繋がりの強化、次世代育成への支援、姉妹都市関係など草の根の紐帯・アジア系の横の繋がり・州及び自治体との関係の強化、日本の経済力・技術力・ソフトパワーの強化に繋がる日本ビジネス・日本企業関係の活動の支援などを紹介しました。いずれも言うは易しく行うは難し。全力を尽くしますので、みなさんのご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。
私は旅行好きで、日本も47都道府県全部訪問していますが、日本にいたときは国内を家族旅行するたびに、「日本の地方はなんと素晴らしいんだろう」と語り合っていました。
当地に来ても、日本の農水産物輸出のためのプロモーションを積極的に行っていますが、物産品だけでなく、そこに「生きる人たちの魅力」に触れてもらい、「あの人に会いたい」と思って日本の地方を訪れてもらう、そして、それをスケールアップしてビジネスとして地方経済の活性化に繋げていけたらいいと強く思っています。
今回のレセプションも日本の地方の振興に是非役立てたいと思っていたところ、福島県の復興PRとして、経済産業省福島事業・なりわい再建支援室による協力を得て、同県飯舘村のレストランを経営する佐々木千榮子氏及び佐々木かおり氏にレセプションに参加頂き、自家製造のどぶろく「白狼」紹介ブースで直接来訪者に振舞ってもらうことができました。(その他、東京電力ホールディングス福島復興本社による協力を得て、福島県産米「天のつぶ」を使用した寿司を提供しつつ、その試供品を特別ブースで来客に配布しました。)
私のスピーチでは福島については三箇所で触れました。その際に、スピーチを手伝ってくれた現地職員からFukushimaではなくFukushima Prefectureと言うようにとのアドバイスを受けました。やはり震災の時のイメージがまだまだ強いようです。福島のイメージをどう変えていくか。
私は最近当地で、1869年に最初に到着した日本人移民の居住地「若松コロニー」を紹介しています。若松コロニーはまだお伺いできていませんが、サンフランシスコから車で内陸に二時間以上入ったところにあるそうです。私は最初、若松という人名なのかと思いましたら、福島県の内陸にある会津若松とのこと。戊辰戦争後、「再起をかけて福島からカルフォルニアにやってきた最初の日本人移民」が、ゴールドラッシュが盛りを過ぎた内陸地に移住してきたということのようです。また、カルフォルニア州では、気候変動対策とクリーン・エネルギー推進が州是となっていますが、福島が日本の再生可能エネルギー、水素エネルギーの中心地ということも当地でのイメージ向上に役立つだろう潜在力を感じています。


今回、二人の飯舘村の女性が長途サンフランシスコまで来られ、展示ブースの中でどぶろくを紹介してくれたのは、画期的でした。「その土地で生きて、必死に頑張っている人が目の前にいる」ということ以上に心に訴えかけるものはないと思いました。私も、ミルブレー市長(サンフランシスコ国際空港近辺の郊外ベッドタウン)をブースに連れていき、彼女達のことを説明しました。この中華系の新任の市長、さすが政治家ですね。「あなたたちがここに来てくれてありがとう。素晴らしい。頑張ってほしい。」と激励の声をかけ、ドブロクもグイッと美味しく飲んでくれました。二人の飯舘村の女性達も感激していたので、一緒に記念写真も撮り、持って帰ってもらいました。レセプションの後、妻も声をかけ、総領事夫人会会長のルクセンブル総領事夫人達とも写真を撮ってもらいましたが、「今度帰国することがあれば、時間があれば飯館村に来てくださいね。」とのことでした。 このような元気に生きる姿こそ、今後、福島のイメージにとって意義深いものと感じた次第です。
新年会(1月31日)について
当館においては、公邸のスペース上の都合から、米国人、領事団、日系人の方々を中心にお招きする天皇誕生日祝賀レセプションとは別に、在留邦人の方々を中心に招待する新年会を別途実施しており、今年は1月31日に実施しました。
新年会でのスピーチは、冒頭で、年初の能登半島地震へのお見舞いを申し上げるとともに、昨年の回顧ということで、当地では1945年の国連創設会議以来の大会議だった昨秋のAPECについて、岸田総理、上川外務大臣の動きを中心に紹介しました(詳細は「便り2」参照)。また、今年の重点目標として、しっかりした領事及び様々なサービスの提供と皆様とのコミュニケーションの強化、日系アメリカ人との紐帯の維持・強化及び彼らと在留邦人との横の繋がりの強化、次世代育成への支援、姉妹都市関係など草の根の紐帯・アジア系の横の繋がり・州及び自治体との関係の強化、日本の経済力・技術力・ソフトパワーの強化に繋がる日本ビジネス・日本企業関係の活動の支援などを紹介しました。いずれも言うは易しく行うは難し。全力を尽くしますので、みなさんのご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。
宮中歌会始
新年会では宮中歌会始のことも紹介しました。
みなさん日本の最古の歌は何か知っておられますか?これは、古事記に載っていますスサノオノミコト作の「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作るその八重垣を」です。乱暴者であったため姉のアマテラスノミコトを怒らせて追放され出雲国に降り立ったスサノオノミコトが、美しきクシナダノヒメを救うために、八つの頭がある八岐大蛇という巨大な蛇を酔っ払わせて退治し、幸せに結婚する時に詠んだ歌で、「出雲の厚い厚い八重の雲のように、我が妻を囲む八重の垣よ」という趣旨だとのことです。
この八重垣の名前をあやかった八重垣神社が島根県松江市の郊外にあります。縁結びのパワースポットになっておりまして、スサノオノミコトがイナダノヒメを隠したと伝承される森のそばの池に占い用紙を浮かべ、十円玉をそっと乗せ、早く沈めば縁が早く、遅く沈むと縁が遅く、近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人とご縁があると伝えられています。
我々家族も5年前の年末に訪れました。恋人たちが神妙に十円玉を見つめている中で、我が家の次男坊は、占い紙に十円玉を投げつけたので十円玉はあっという間に池の底に落ちていってしまい、雰囲気ぶち壊しでした。子育ては難し、です。
日本の歴史は伝承の時代からを含め和歌の歴史と言えます。その豊かな情緒は、日本の文化の真髄と思います。今カルフォルニアからも皆がこぞって日本に旅行しようとしています。彼らが口にするのは日本食やアニメだとしても、そして日本に行くと清潔さや安全に驚くとしても、その究極にはこの情緒に顕れるような、日本の美意識への憧れがあると私は確信しています。
宮中歌会始は鎌倉時代中期に遡れるとのことですから、かれこれ千年年近く続いているわけです。このようなことがかくも長く継続して行われているのを世界で聞いたことがありません。
今年のお題は平和や調和の「和」の文字でした。
天皇陛下の御製は、全国各地を行幸啓されてきた際の人々との出会いを詠み上げられた、「をちこちの 旅路に会へる人びとの 笑顔を見れば心和みぬ」でした。
皇后陛下の御歌は、愛子様が中学生の時に広島に訪れた時のことを振り返り、「広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾子(あこ)は綴れり」と詠まれています。
その愛子様は、中世の和歌が千年の時を経て現代に受け継がれていることへの感銘を、「幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」と詠まれています。
そして、国内外から15,270首の歌が寄せられました。その中でカルフォルニア州ロサンゼルスに住まれる川崎ハルコさんの歌も入選されています。「かの日々に移り来し人等耕しし 大和と呼ぶ里アマンドの花」。カルフォルニアに住む我々であるからこそ、共感のわく情感ではないでしょうか。
ご参考までに、来年の歌会始のお題は「夢」とのことです。「夢」の文字が詠み込まれていればよいとのことです。南に対抗して北カルフォルニアから入選者が出るといいですね。
結語:能登の復興を祈念して
新年会では、富山県能登半島の付け根にある氷見(ひみ)市の名酒、高澤酒造場さんの袋吊り大吟醸青海白峰(セイカイハクホウ、と書いてうみのしらみね)で乾杯させていただきました。高澤酒造場さんのFacebookによれば、能登半島最深部程の被害出ないとしても、倉庫がかなりぐちゃぐちゃになり、しばらく断水が続いたようです。ご来場のみなさまは、被災地に思いを馳せ、その元気のために力強くお飲みいただいた次第です。
今後も復興への動きを支援していきたいと考えております。
(了)
新年会では宮中歌会始のことも紹介しました。
みなさん日本の最古の歌は何か知っておられますか?これは、古事記に載っていますスサノオノミコト作の「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作るその八重垣を」です。乱暴者であったため姉のアマテラスノミコトを怒らせて追放され出雲国に降り立ったスサノオノミコトが、美しきクシナダノヒメを救うために、八つの頭がある八岐大蛇という巨大な蛇を酔っ払わせて退治し、幸せに結婚する時に詠んだ歌で、「出雲の厚い厚い八重の雲のように、我が妻を囲む八重の垣よ」という趣旨だとのことです。
この八重垣の名前をあやかった八重垣神社が島根県松江市の郊外にあります。縁結びのパワースポットになっておりまして、スサノオノミコトがイナダノヒメを隠したと伝承される森のそばの池に占い用紙を浮かべ、十円玉をそっと乗せ、早く沈めば縁が早く、遅く沈むと縁が遅く、近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人とご縁があると伝えられています。
我々家族も5年前の年末に訪れました。恋人たちが神妙に十円玉を見つめている中で、我が家の次男坊は、占い紙に十円玉を投げつけたので十円玉はあっという間に池の底に落ちていってしまい、雰囲気ぶち壊しでした。子育ては難し、です。
日本の歴史は伝承の時代からを含め和歌の歴史と言えます。その豊かな情緒は、日本の文化の真髄と思います。今カルフォルニアからも皆がこぞって日本に旅行しようとしています。彼らが口にするのは日本食やアニメだとしても、そして日本に行くと清潔さや安全に驚くとしても、その究極にはこの情緒に顕れるような、日本の美意識への憧れがあると私は確信しています。
宮中歌会始は鎌倉時代中期に遡れるとのことですから、かれこれ千年年近く続いているわけです。このようなことがかくも長く継続して行われているのを世界で聞いたことがありません。
今年のお題は平和や調和の「和」の文字でした。
天皇陛下の御製は、全国各地を行幸啓されてきた際の人々との出会いを詠み上げられた、「をちこちの 旅路に会へる人びとの 笑顔を見れば心和みぬ」でした。
皇后陛下の御歌は、愛子様が中学生の時に広島に訪れた時のことを振り返り、「広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾子(あこ)は綴れり」と詠まれています。
その愛子様は、中世の和歌が千年の時を経て現代に受け継がれていることへの感銘を、「幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」と詠まれています。
そして、国内外から15,270首の歌が寄せられました。その中でカルフォルニア州ロサンゼルスに住まれる川崎ハルコさんの歌も入選されています。「かの日々に移り来し人等耕しし 大和と呼ぶ里アマンドの花」。カルフォルニアに住む我々であるからこそ、共感のわく情感ではないでしょうか。
ご参考までに、来年の歌会始のお題は「夢」とのことです。「夢」の文字が詠み込まれていればよいとのことです。南に対抗して北カルフォルニアから入選者が出るといいですね。
結語:能登の復興を祈念して
新年会では、富山県能登半島の付け根にある氷見(ひみ)市の名酒、高澤酒造場さんの袋吊り大吟醸青海白峰(セイカイハクホウ、と書いてうみのしらみね)で乾杯させていただきました。高澤酒造場さんのFacebookによれば、能登半島最深部程の被害出ないとしても、倉庫がかなりぐちゃぐちゃになり、しばらく断水が続いたようです。ご来場のみなさまは、被災地に思いを馳せ、その元気のために力強くお飲みいただいた次第です。
今後も復興への動きを支援していきたいと考えております。
(了)
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