総領事便り

令和6年2月20日
総領事便り 5
      
令和6年 (2024年) 2月20日
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋

 
 2月11日にラスベガスで行われたスーパーボウルは、アメリカの国を挙げての大イベントでした。
 
 地元サンフランシスコの49ers、フォーティナイナーズが出場したのですから、29年ぶりの制覇へベイエリア地域の期待は大いに高まりました。市バスは「GO NINERS!」との電光掲示板に表示をして疾走していました。特に、ここまでくる最後の二試合は劣勢の中での逆転に次ぐ逆転でしたし、今や不動のクォーターバック、ブロック・パーディ選手のシンデレラ・ストーリーもありました。
 在サンフランシスコ総領事館にも熱狂的なファンが少なくなく、「応援しよう」という声が上がり、試合の前日にはFacebook等にエールを送る写真を投稿しています。

 それにしても相手は現在最強と言われているカンザスシティ・チーフス。過去4年のうち3回スーパーボウルに進出し2度優勝し、2020年には49ersに31対20で快勝しています。その中心選手の一人ケルシー選手と歌手のテイラー・スウィフトさんがアツアツの関係で有名。スウィフトさんは直前まで日本公演中で、彼氏の晴れ舞台に間に合うようにラスベガスまで戻って来れるのかが世間の関心事となりました。
 
LOSS VEGAS
 試合開始は西海岸時間で11日午後3時半から。子供の友人の家族が自宅で一緒に見ようと誘ってくれたので、車を運転して一家で伺いました。街中は車の交通量が少ない一方で、49ersの赤いユニホームを着た人達が歩いており、バーの前を通ると真っ赤な人だかりになっています。
 友人宅に行くと、数家族が集まりましたが、実はあまりアメフトに関心がない人達の集りで、呼んでくれた一家の主人チャールズも、「今年初めてアメフトの試合見るんだよね。」と。アメリカは広いですね。ということで、ナチョスやチーズやらを食べながら喋っているといつの間にか試合が始まっていました。試合は終始49ersがリードしていましたが接戦で、19対16のまま最後の10分になると流石にみんな手に汗握って観戦しています。3点差を守り切れば優勝という最後の数秒でカンザスシティ・チーフスが3ポイントのフィールド・ゴールを入れて19対19に。そして延長線も49ersが先に22対19としてから粘り強く守り、あと数秒守れれば優勝カップに手が届く、、、というところでタッチダウンを決められ25対22と逆転されて万事休す。勝負の無情にその場の一同、声が出ませんでした。
(画像:サンフランシスコ・クロニクル紙、2024年2月12日より)
 
 勝ったら街は大騒ぎに、負けても鬱憤でひと騒動あるのでは、という事前の心配は全く杞憂。路上駐車してあった車に家族で歩いていった数分、すれ違う人は皆肩を落として無言。優勝していれば大パレードが企画されていた通りも閑散し、街全体が意気消沈していました。
 翌日は仕事を休んでいる人も多かったようです。オフィスに出ると、件の熱狂的ファンの同僚は、肩を落としながらも、「ありがとう、よくやってくれた。」と街全体を代表して語ってくれました。
 
 
Mr. Irrelevantからシンデレラボーイへ
 今回、サンフランシスコ及びここベイエリアがとても盛り上がった一つの理由には、クォーターバック、ブロック・パーディ選手の劇的なストーリーがあったからでしょうか。相手型のカンザスシティのクォーターバックであるマホームズ選手は既に3回スーパーボウル出場、2回優勝の大立役者でエリート・プレーヤー。童顔でどこか頼りないパーディ選手がどう伍するのか見ものでしたが、互角に戦い、あのチャンピオンチームをあと一歩まで追い詰めました。歴代で49ersをスーパーボウル優勝まで率いたクォーターバックは二人だけ。この元Mr. Irrelevantがこれから伝説の人となるのか、ひとのストーリーとして興味を引くところです。(画像:サンフランシスコ・クロニクル紙、2024年2月12日より) 
 

サンフランシスコ再生への想い
 もう一つ、サンフランシスコの中で、「この街はうまくいっていないのではないか」という気分が広がっており、それが49ersの勝利を望む気持ちを倍加させていたのではないかと感じました。コロナ禍を経てテック業界を中心にテレワークが常態化してオフィス需要が減り、それが飲食業にも影響していること、ホームレス及び治安問題を嫌って忌避するビジネスが増えたことなどあり、市内中心部のビルの空室率はコロナ前の数%から35%を超えています。もう少し何とかなって欲しい、という市民の気持ちを反映し、今秋の市長選では、ホームレス及び治安問題に正面から取り組む候補が乱立し、現市長も警察官増員などを含めた対策強化に乗り出しているところです。
 スーパーボウルで優勝したからと言って何かが劇的に変わるわけではありません。敗けても時は淡々と流れます。それでも、あのスーパーボウルで勝利してくれたら「運気」を運んできてくれるんじゃないか、そんな想いがどこかに潜んでいたのではないかと感じた次第です。
サンフランシスコの風景
49ersって?
 ところで、49ersって何なのだろう?と興味を持ちました。
「カルフォルニアのゴールドラッシュは1848年サクラメント川の辺りで」と世界史の授業で習った記憶がありましたが、1848年から翌年にかけて全世界から集まってきた人達をフォーティナイナーズ(49ers)と言うのですね。マスコットはサワードゥ・サム(Sourdough Sam)で、その出立ちはまさしく金鉱掘りで一攫千金を狙う49ersそのもの。酸っぱい日持ちするサワードゥブレッドは金鉱夫達が食べていたのとのこと。49ersのチアリーダーのグループ名は「ゴールドラッシュ」。
 
 ちなみに歴史の教科書で出てくるジョン万次郎もフォーティナイナーズだって知っていましたか?
二年前の夏に家族で四国一周旅行した時に、高知で博物館に行き、万次郎が1841年に14歳の時に高知沖で漁をしていて遭難、小笠原諸島に近い無人島の鳥島で飛来してくるアホウドリを捕まえて火も無いのでナマで食べたりして143日間生き延び、米国捕鯨船に助けられアメリカへ行き、1853年のペリー浦賀来航前には帰国していたとの記述を見ました。高知市内では本屋さんでジョン万次郎の絵本も買いました。              
 今回、こちらに来てみると、アメリカに渡った万次郎は救助された捕鯨船の船長の養子となりマサチューセッツ州で熱心に勉学に励み学校を首席で卒業後は捕鯨船に乗って身を立てていたが、帰国を夢見てサンフランシスコから蒸気船でサクラメント迄遡上しゴールドラッシュ真っ只中の金鉱で働き、そこで得た資金で帰国したことを「再発見」しました。帰国後に入牢した万次郎ですが、開国後に幕府に招聘され江戸へ行き、中濱という姓まで授かり活躍し、1860年には33歳で咸臨丸に通訳兼技術指導員として乗り込み太平洋を横断、サンフランシスコの地に再び降り立っています。ゴールドラッシュから咸臨丸到着までわずか10年程のことです。それから10年後の1870年には、近代日本の初の在外公館として在サンフランシスコ総領事館が開館しています。
(画像:ジョン万次郎 海をわたった開国の風雲児、山口理 文/福田岩緒 絵、あかね書房より)  
 
 ラッシュは数年で金鉱が枯渇してしまいましたが、これまでメキシコを支配していたスペインの勢力の北限の地だったサンフランシスコは、これをきっかけに人口が激増し、天然の良港を擁する独自の発展を遂げます。まさしくその時に開国した日本にとってサンフランシスコは「世界への玄関口」となりました。1852年にはウェルス・ファーゴ銀行が当地で設立され、1902年にはバンク・オブ・アメリカが設立されるなどサンフランシスコは金融都市として栄えました。日本からも主要都市銀行が支店を出していましたが、金融の大再編の中でそのような面影は薄れ、今は日本の銀行は一つもありません。一方で、サンフランシスコから南に伸びるベイエリアには、先述したAIやUber、 Airbnbなどだけでなく、アップル、グーグル、メタ、エヌビディアなどマグニフィセント・セブンの本社が軒を並べ、「デジタル及びイノベーションの世界の首都」として全く新しい姿を見せています。サンフランシスコ市では、中心部に2018年に完成したセールスフォース・タワーが新しいランドマークとなっています。
渦丸の皆さん
ウォーリアーズ会場の様子
スポーツビジネスと文化
 スーパーボウルのチケットを再販で買ったという人に値段を聞いてみたら7000ドル(100万円)!
3万ドル(450万円)するチケットもあったのは過熱じゃないかと思うものの、アメリカのスポーツのエンタメとしての「完成度」の高さには感心するところがあります。スーパーボウルのハーフタイムはビヨンセなどが登場する豪華なものになりましたが、TV広告も、そのためにスーパーボウルを見る人も少なくないということで、趣向を凝らした初登場ものが相次いで放映されており、楽しめました。
 サンフランシスコのプロ・バスケットボールについて、総領事館では昨年からゴールデンステート・ウォーリアーズと「ジャパニーズ・ヘリテージナイト」を始めました。第1回目となる昨年2月にはロックギタリストのMIYAVIさんがよさこい踊りのグループ「渦丸」と共に参加しました。第2回目となる12月16日はベイスポ発行人の小野里さんを中心に、日系人団体の皆さん、日本商工会、ジャパンソサエティと協力し、関係者全員のご苦労のおかげでこのような大役をいただくのは有り難いことと思いつつ、選手入場の鐘をつかせていただきましたが、スタジアムに天井からぶら下がるパネルに映し出される自分があまりにも「大きい」ことには少し恥ずかしい思いも。あとで何人かの方から「見ましたよ~」と声をかけられました。日本人合唱団「コラール・メイ」による国歌斉唱や「渦丸」もハーフタイムに出場しましたが、元気に溢れ会場の雰囲気にとても合っていてよかったです。

 会場は熱気ムンムンで、往年の名選手が出てきたり、チアリーダーが出てきたり(若い男女グループがあったり、壮年チームがあったり)、スタンドに向かってボールを投げたりおもちゃの鉄砲で打ち込んだり、大パネルでランダムにカップルを映し出して「熱いキース!」と呼びかけると濃厚なキスを披露したり(五、六組のうち恥ずかしがって最後までやらなかったのは一組だけでしたね)と、アメリカなりの陽気な文化の発露をとっても感じました。全体としてとても楽しめ、そしてそれがエンタメのビジネスとして発達し、ビジネスモデルとしても成り立っていると思います。
ちなみに、今回スーパーボウルの開催地となったラスベガスは、近年、アイスホッケー、バスケットボール、アメフトと次々にプロリーグの本拠地となっており、昨秋にはサンフランシスコ対岸のオークランド市にあるプロ野球チームのオークランド・アスレチックスの移転が決定されました。街中を使ったF1レースも開始されます。昨秋訪問しましたが、コロナ禍で痛めつけられた後の回復途上とはいえ、上り調子を肌で感じました。オークランド市からプロスポーツが相次いで流出してしまったことはとても残念なことですが。
 日本でもJリーグの川淵元チェアマンが30年前に「Jリーグ100年構想」を打ち出し、地元密着、育成体制の整備を打ち出して継続して努力をし、日本のサッカーもここまで来ました。近年はバスケットボールもプロリーグとして経営に成功しているようです。野球の世界でもファイターズが北海道で新しいモデルの経営に挑戦しているようです。よりスケールアップしたビジネスとしての展開できれば素晴らしい先駆的な動きとなることと思います。
スーパーボウルが終わると今度はバスケットボールが盛り上がっていく季節に。ゴールデンステート・ウォーリアーズは2年前のNBA優勝に貢献した伝説の三ポイントシューターのステフィン・カリーが健在ですが、チームは今シーズン調子が今一つなのが残念です。6月にバスケットボールのシーズンが終わる頃には今度は野球の季節となり秋のワールドシリーズまで続きます。サンフランシスコ・ジャイアンツが大谷翔平選手も山本由伸選手も獲得できなかったのは残念ですが、同じリーグなのでサンフランシスコに来てくれそうで、楽しみにしているところです。
 
マイ・ホーム
 サンフランシスコに着任してから約五ヶ月になろうとしています。
「サンフランシスコにきてどうですか(How have you found San Francisco?)」と聞かれて、昨秋の頃は「APECなど色々ありすぎて消化中です(I am digesting because too much is going on, APEC…).」と答えていました。
この便りのパート4の除夜の鐘も終わった頃には、「クリスマスや新年の休暇を経てグッと身近に感じるようになりました(After Christmas and New Year holidays, I am now feeling more at home.)」と答えました。
スーパーボウル体験を経て、「この街が自分達のホームです(This is our home.)」となりました。
 
 スポーツの力ってすごいですね。
(了)