総領事便り

令和7年4月30日
2025 NCCBF Tarumikoshi
総領事便り20
~春の到来~
 
令和7年 (2025年) 4月末
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
 

 4月は桜の季節。北カリフォルニア桜祭りが再びやってきました。

 霧の多いサンフランシスコ市はともかく、ベイエリア一般の天候は「暑くなく寒くなく」。晴天が多いこの天国のような気候はシリコンバレーの隆盛の理由の一つとされています。ただ、日本人にとっては四季の季節感が薄いところを寂しく感じるところですが、この桜祭りのお陰で春の到来を感じます。

 桜と「もののあはれ」と女性が繋ぐ文化的遺産と  
 桜は日本の象徴。古来より数多の人達が歌にしてきました。古学の祖とも言われる18世紀の大学者本居宣長は、日本の心をというのを問われればということで、以下の短歌を残しています。
 
敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花

 満開の桜の美しさは息を呑みますが、春の風にひらひらと散りゆく桜花も情感をそそります。移りゆく自然の儚さという変えられない「もの」を鑑賞して、「ああ、(はれ)」と嘆息する、その自然の感情を本居宣長は「もののあはれ」と呼びました。「すぐに滅びゆく美の大切さ、さりげない言葉の周囲にただよう微妙なニュアンス、その他平安時代の女性的感性によって書かれた文学にそなわるあらゆる特徴は、日本人全体の遺産となった」と米国の日本研究の泰斗であるドナルド・キーン氏は書いています。紫式部や清少納言が千年前にひらがなを駆使して書いた物語等は日本のみならず世界文学の金字塔です。
 4月6日に行われたクイーン・プログラムに出場していた、2024クイーンとプリンセス(1年間お勤めご苦労様でした)とこれからの2025クイーンとプリンセス達にはこのような日本独特の文学的、美的理念意識を引き継ぐ立場なので、彼女達を前にしたスピーチでは、「もののあはれ」を紹介しました。そして、女性達には、先輩のクイーン達がそうであったように、次世代のリーダーとしてより飛翔してほしい、自分だけでなく公の精神のために、との願いをお伝えしました。
 


 
人、人、人  
 4月12日、大迫力のサンフランシスコ太鼓道場の演奏後に行われた北カリフォルニア桜祭り開会式で挨拶させていただいた後、賑やかな会場をご案内いただきました。大晴天の初日のまだお昼過ぎというのにポスト・ストリートは人、人、人。オオサカウェイのPaper Tree前で今年のグランド・マーシャルの被爆者に想いを馳せて鶴を折り紙したり、サター・ストリートでは街頭放送に誘われて北カリフォルニア日本文化コミュニティセンター (JCCCNC)に入り、いけばなや和紙人形、武道の演舞や狂言を拝見したり、リトル・フレンズでは茶道のデモンストレーションを拝見しました。妻は、日本語がネィティブ並みのオランダ総領事夫妻を連れて百人一首まで楽しんだようです。ウェブスター通りの屋台ではハンバーガーやうどん、たこ焼きや牛丼、さらには今川焼きを堪能しました。屋台は各団体の活動資金の大きな収入源となっているとのこと。本当に美味しかったです。また警察や消防、様々な団体のブースがあり、ボランティアの人達が笑顔で対応してくれ、本当に正の運気をいただきました。ありがとうございました。全て見回れたわけではないですが、4日間で約20万人の人出があったとのこと。大成功おめでとうございます。


グランドパレード
 4月20日行われた今年の北カリフォルニア桜祭りのグランドパレード。
集合場所であるサンフランシスコ市庁舎にはパレード参加者が集い、市庁舎前での写真撮影など華やかな雰囲気。ルーリー市長もパレードに参加して盛り上げていましたし、様々なコミュニティのグループが総出で参加していたことに感銘を受けました。私としては、力を入れている日本語教育関係の多くの団体、姉妹都市関係者の参加が多く見られたことに意を強くしました。また個人的には初参加のレッドウッド弓道場の時代装束の行列がとても印象的でした。総領事館は、全体で45組が参加するパレードにおいて、先頭から数えて10番目の位置から、館員と家族が30人ほどハッピを着て参加しました。市庁舎から日本町まで一マイルの道のり、春の眩い陽光の下、笑顔と笑い声に街中がそば立つ、素晴らしい雰囲気の中で歩かせていただきました。ご声援ありがとうございました。

 


 
 さて、今年は、実行委員会から各国総領事を招待していただき観覧席に来てくれました。妻は普段からお友達を日本町に連れていき紹介していますが、パレードの行列と道々を埋め尽くす人達の歓声に、普段の週末の混雑とも比にならない桜祭りの盛り上がりの凄さに驚いていました。件の日本語を駆使するオランダ総領事夫妻も、「日本の素晴らしさは祭りですね!」と話していました。コミュニティ・マーシャルの被爆者代表としてセイコ・フジモトさんにも紹介しました。ささやかな国際交流の彩りを添えられたのなら良かったと思っています。
 そして大トリの樽神輿登場!「お練り」と担ぎ手の「セイヤー」の掛け声と、乗り手の雄叫びが春空に響きわたり、最後は観客も担ぎ手も皆が一体となって三々拍子。桜吹雪も神輿に降りかかる祭りの頂点となりました。EUの代表からは、「神輿は神々しく、沿道の人達皆が笑顔で、コミュニティの力強さを感じた。日本町がここサンフランシスコにありコミュニティが繁栄しているのは素晴らしいことだ」との感想。桜祭りを続けていることの意義を表してくれた賛辞として、皆様にお返ししたいと思います!
2025 San Jose Nikkei Matsuri
San Jose Taiko


サンノゼNikkei Maturi  
 4月27日は、サンノゼNikkei Matsuriに行きました。サンフランシスコの曇り空を持ち込んでしまったみたいでしたが、サンノゼ日本町は、サンフランシスコ日本町とはまた一味違う、ほのぼのとした暖かい雰囲気で、妻と私、石原首席領事夫妻を迎えてくれました。様々な方が声をかけてきてくれてとても楽しかったです。ありがとうございました。  サンノゼNikkei Matsuriは元々はいくつかの祭りをバラバラにやっていたものを、皆で力を合わせて一つの祭りを、ということで始めたそうです。草創期のメンバーがコロナ禍を機に勇退し、青壮年中心で今は運営しているとのことで、それぞれの祭りのリーダーが相違を工夫して「中興の時代」を迎えているとのことでした。盆踊りのメンバーも、10名ほどのメンバーだったのが今は150名にまで膨れ上がっているそうです。活気ある話にはこちらも元気つけられました!
 ちょうど24日にマハン・サンノゼ市長と日本町で会食し、コミュニティ、ビジネス、サンノゼ・岡山姉妹都市協会関係の方達にも入っていただきました。再来年の姉妹都市関係70周年の際の訪日の話題も出たので、岡山市の観光パンフレット、特に特産の果物が盛り沢山のパフェの写真を見せて、「子供を連れていくと喜ばれますよ」という話をしたら大いに興味を示していました。またサンノゼ市で展開する日本のビジネスについても話題とすることができました。そして、ちょうど6月末まで横浜にあるJICA移民資料館でサンノゼ日本町の特別展示が行われていることも説明したところ、サンノゼの日系コミュニティの力を普段から大いに心強く思っているとのことでしたので、併せて報告いたします。
JCCNC tour participants at Manzanar
マンザナール慰霊祭出席
 サンノゼNikkei Matsuriの前日の4月26日、第56回マンザナール慰霊祭に出席してきました。北加日本商工会議所(JCCNC)が2年に1回主催しているツアーに参加させていただきました。2年前は快晴でとても暑かったそうですが、今回は4月末だというのに小雨も降るあいにくの天気で、折からの山をすっぽり包む厚い雲と強風に、「冬は寒すぎ夏は暑すぎる」この地に第二次大戦中に強制収容された日系人達の苦労が偲ばれました。マンザナールは全米10ヶ所に存在した主要な強制収容所跡の中で唯一国立史跡に指定されているとのことで、保存・継承のためよく整備されています。この日の式典は2000人以上がこの荒野に集まる大規模なもので、私も五味JCCNC会頭とともに慰霊塔に献花させて頂きました。今年はちょうど戦後80周年、昨今の内外情勢もあり、大変熱のこもったイベントとなっていました。
 一緒に参加したJCCNCの方々とは、前夜にLAの居酒屋風レストランで夕食を一緒にさせていただきましたが、日系人の苦労をしっかりと認識し理解する重要性についての意識と気持ちを高く持っておられ感銘を受けた次第です。5月には海上保安大学校の練習船いつくしまが太平洋を横断して最初の寄港地としてサンフランシスコにやってきます。乗艦している練習船船長や海上保安大学校生は、私が総領事だより16で紹介した、コルマ日本人墓地、プレシディオにあるMilitary Intelligence Service Learning Centerを訪問します。これからの若い世代に歴史を伝えていくことが重要だという気持ちを当地にいる皆様ともさらに幅広く、そして深く共有していけたら良いなと思う次第です。
終わりに
 5月は緑の季節で、アメリカではメモリアル・デーのある月です。コルマの日本人墓地で26日に年一回の慰霊祭が、そしてその一週間前の17日は有志によるお墓掃除が行われます。咸臨丸乗組員以来の日本に関わりのある方々が眠るコルマ墓地にて哀悼の誠を捧げるのは総領事館及び総領事として重要な職務と心得ています。