総領事便り
令和7年7月3日

総領事便り22
~「外」助の功~
~「外」助の功~
令和7年 (2025年) 6月27日
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
スピーチなどではよく、夫婦が相手方を指して「ベター・ハーフ」と表現することがあります。私の妻の操(みさお)は、ハキハキと分かり易く喋り人の心を掴める、私よりよっぽど外交官らしい「ベター・ハーフ」です。これまでどの赴任地でも感心するほど知り合いができたのですが、初めて館長夫人を勤めている当地でも交友を広げ、日本のために、そしてコミュニティのために様々な活動をしてくれています。今日はその一端を紹介します。
サンフランシスコ日本人町ツアーの実施
サンフランシスコのジャパンタウンは今とてもクールで、休日にもなればもの凄い賑わいとなります。ただ、知り合いから「サンフランシスコのジャパンタウンはどこに行けば良いの?」と聞かれてもうまく答えられないばかりだった時、ジャパンタウンにある曹洞宗の桑港寺90周年行事で、妻はアリス・カワハツさんと知り合いになりました。アリスさんはジャパンタウン・タスクフォースの理事で、ジャパンタウンを盛り上げるためにガイドをしているということで、妻は、より多くの人が訪れ、理解を深め、ビジネス振興に繋がるように、LSFCC(Legion of San Francisco Consular Corps、サンフランシスコにある各国の総領事館の配偶者達の集まりです)のメンバー達のためのツアーをお願いしました。昨年12月5日冬の青空の下に10数人がカブキホテルに集合。北カリフォルニア日本文化コミュニティセンター(JCCCNC)、日本町リトルフレンズ、全米日系アメリカ人歴史協会、折り紙の店ペーパーツリー、スーパー・ミラ、雑貨店SF76、浮世絵プリントショップ、北加日米会茶室などを練り歩きました。その後、参加者の何人かはやきとり江戸政でランチを食べたそうです。


ツアー参加者からは「educational!」「amazing introduction to Japantown!」との感想が寄せられるなど大変好評でした。LSFCCにサポーターとして長年所属する当地の女性からも「長年ジャパンタウンに通ってきたけど、こんなにディープな所があるとは知らなかった」との発言もありました。妻は皆が戻ってこられるよう手書きの地図まで作り配布しましたので、何人かはそれからベターハーフや家族を連れだって再訪したと聞いています。そのうちの一組が、ともに日本語を喋れるオランダ総領事夫妻。今年4月の桜祭りの際には、妻が通っているグループの百人一首の会に飛び入り参加し、一緒に札取りを楽しみました。


いけばな・月例のデモンストレーションの紹介
私が嗜む茶道も含め、日本の習い事は流派ごとに行われているのが通例ですが、いけばなの世界では各流派がある一方で、いけばなのすばらしさと日本文化の紹介を通じ相互理解と友好の輪を世界に広げる趣旨で、1956年に、池坊、小原流、草月流の家元たちの協力のもと、エレン・ゴードン・アレン夫人によっていけばなインターナショナルが設立されています。当地のイケバナ・インターナショナル・サンフランシスコ・ベイエリア支部(IISF) は、ゴールデンゲートパーク内のカウンティ・ホールで毎月第三金曜日昼にデモンストレーションを無料で開いていますが、今年1月17日の金曜日は支部開設65周年記念で、五流派の先生方による「夢の競演」が披露されました。私も初めて花が眼前で生けられていくのを鑑賞させていただきましたが、来年百寿を迎える最年長の藤本先生(小原流)を始め壇上に凛と立つ先生方が整然と花を生けられる姿、そして美の作品が完成して忽然と姿を表す光景に大変感銘を受けました。
妻が連れて来てくれた十数名のLSFCCのメンバーも花が生けられるのを覧るのは初体験でしたが、作品が完成し披露される度に文字通り感嘆のため息を漏らしていました。この月例デモンストレーションは人気でリピーターさんもいるようです。妻から話を聞いて、カレン・コレマツさん(フレッド・コレマツ研究所代表)や、マックマスター元米国家安全保障担当補佐官の御夫人なども是非見に来たいと関心を示してくれているそうです。





「One World: Two Voices: An Ikebana Journey」:サンフランシスコ・ガーデンクラブとの共催(小原流と草月流の競演デモンストレーション)
今年3月20日、プレシディオ・ゴルフ&コンコーディア・クラブにおいて、小原流の丸山光子先生と草月流のロン・ブラウン先生が、いけばなのデモンストレーションを競演しました。このガーデンクラブは1926年創設の由緒ある慈善団体で、もともとはLSFCCの米国人サポーターでガーデンクラブの副会長でもあるビバリー・ヘイズさんから妻に対して、日本のいけばなについて講演してほしいとの依頼があったのがきっかけでした。妻がイケバナ・インターナショナル・サンフランシスコ・ベイエリア支部(IISF) の名誉会長の職を授かっているので、同支部の共同支部長である両先生に相談し、このような素晴らしい企画が誕生したものです。
当日はプレシディオのゴルフ場の美しい緑が借景。各テーブルの上には、妻が前日にビバリーさんや我が家の長男拓海とともに花を入れ込んだ角の型の木の枡が置かれていました。挨拶の際に私からは、儚さを美しさと見るという日本の美意識を説明しました。両先生を紹介するために立った妻は、西洋のフラワーアレンジメントと日本のいけばなを、「対称 vs 非対称」「埋め尽くされる空間 vs 間(ま)」「アレンジメント vs 没入体験」という対比で表現しました。
その後、両先生は隣同士で壇上に立ち、同じ素材の草花をそれぞれの手法で生け、五作品ずつ造られました。小原流はそれまでの伝統を受け継ぎつつも明治という新しい時代の息吹を受けて誕生した流派で、光子先生の真摯な人柄が生け方及び盛花に見事に表現されていました。草月流は昭和初期に誕生したより自由な創造を大切にする流派ですが、ロン先生の軽快なトークはその自由な作風ととても合っていたと思います。お二人は同好の士としてお付き合いが長いものの共演は初めてとのことでしたが、One World, Two Voicesというテーマまさしく、二つの違うアプローチながら美意識を共有しておられました。会場の皆さんはお二人が花を生ける情景と、出来上がった作品の圧倒的な美しさにため息を漏らしており、最後の作品を二人が仕上げた際には会場は割れるような喝采に包まれました。
今年3月20日、プレシディオ・ゴルフ&コンコーディア・クラブにおいて、小原流の丸山光子先生と草月流のロン・ブラウン先生が、いけばなのデモンストレーションを競演しました。このガーデンクラブは1926年創設の由緒ある慈善団体で、もともとはLSFCCの米国人サポーターでガーデンクラブの副会長でもあるビバリー・ヘイズさんから妻に対して、日本のいけばなについて講演してほしいとの依頼があったのがきっかけでした。妻がイケバナ・インターナショナル・サンフランシスコ・ベイエリア支部(IISF) の名誉会長の職を授かっているので、同支部の共同支部長である両先生に相談し、このような素晴らしい企画が誕生したものです。
当日はプレシディオのゴルフ場の美しい緑が借景。各テーブルの上には、妻が前日にビバリーさんや我が家の長男拓海とともに花を入れ込んだ角の型の木の枡が置かれていました。挨拶の際に私からは、儚さを美しさと見るという日本の美意識を説明しました。両先生を紹介するために立った妻は、西洋のフラワーアレンジメントと日本のいけばなを、「対称 vs 非対称」「埋め尽くされる空間 vs 間(ま)」「アレンジメント vs 没入体験」という対比で表現しました。
その後、両先生は隣同士で壇上に立ち、同じ素材の草花をそれぞれの手法で生け、五作品ずつ造られました。小原流はそれまでの伝統を受け継ぎつつも明治という新しい時代の息吹を受けて誕生した流派で、光子先生の真摯な人柄が生け方及び盛花に見事に表現されていました。草月流は昭和初期に誕生したより自由な創造を大切にする流派ですが、ロン先生の軽快なトークはその自由な作風ととても合っていたと思います。お二人は同好の士としてお付き合いが長いものの共演は初めてとのことでしたが、One World, Two Voicesというテーマまさしく、二つの違うアプローチながら美意識を共有しておられました。会場の皆さんはお二人が花を生ける情景と、出来上がった作品の圧倒的な美しさにため息を漏らしており、最後の作品を二人が仕上げた際には会場は割れるような喝采に包まれました。





Military Intelligence Service Historic Learning Centerのツアーの斡旋・実施
このセンターは、総領事だより16(もう訪れましたか?先人の道程を辿る11の日米近代史跡)でも紹介したとおり、来たるべく対日戦争準備のために米陸軍が極秘裏に設立した軍任務遂行のための日本語話者養成学校の跡地を、サンフランシスコ日本町に本部があるNational Japanese American Historical Societyが運営し、歴史継承のために供しているところです。日系アメリカ人の歴史、日米近代史、そしてアメリカの歴史についての理解を深めるのにはとても良い場所ということで、妻は次男が通っている現地の中学校に働きかけて今春に参観に来てもらいました。雄弁な語り手であるナオミ・シバタさんに依れば、中学生達がただ話を聞くばかりでなく積極的に質問してくれとても良い機会になった、特に「その時の子供達の心のケアはどうしていたんですか」という質問が出て来たのには感銘を受けたとのことでした。 また、妻は今年5月にLSFCCのメンバー達も数人連れていきました。当時の日本と各国の関係は様々ですし、もともと重いテーマですが、ナオミさんが、最初にコーヒーを飲みながらゆっくり話をしてから見学する、というツアーをうまく組んでくれました。「収容所の集団食事生活で家族の団らんが崩壊する中、母としていかに子供を守り家族の絆を維持するか」という観点で議論が白熱したようです。
なお、ナオミさんは、今年5月に海上保安大学校練習船「いつくしま」が遠洋航海訓練で当地に寄港してセンターを来訪した練習生相手にも話をしてくれました。「いつくしま」が船上パーティをした時にもナオミさんは来てくれ、その時の縁で、ANAの加藤一徳サンフランシスコ支店長(一緒にマンザナール慰霊祭にも行きました:総領事だより20)がオフィスの仲間10人弱を連れてごく最近にMISセンターに来てくれたという話も聞いています。
サンノゼ日系アメリカ人博物館へのツアー
サンフランシスコから南に70キロほど下ったところにあるサンノゼは今はシリコンバレーの中心ですが、昔は一面農地で、日系人が多く住みつき農業に従事しました。今も残るサンノゼ日本町の中に珠玉のような小さな日系アメリカ人博物館があります(総領事だより16)。初めて家族で訪れたときの理事長のマイケル・セラさんの語り口はとても軽妙洒脱で、妻も子供達もとても良い印象を持ちました。その後、妻は総領事館の家族、そして、LSFCCのメンバーを連れて訪問ツアーを実施しています。
総領事館員には、私からは常々、何を担当していても各人館員として日本を代表している立場にあるのだから、在留邦人を率先する心意気で、日系人の歴史の理解に努めてほしいと伝えているところです。その文脈で言えば、妻が、昨年春に館員家族を対象にツアーを企画・実施してくれたのはありがたいと思いました。
また、妻は昨春にLSFCCのメンバーを連れて行くツアーも実施しました。10人以上が参加してくれましたが、当然このような博物館の存在も、そして日系人の歴史も知らなかったので、再現された収容所の薄暗い部屋に入る体験も含め、とても新鮮だったようです。マイケルさんも、今回は英語で、聞く人の背景や関心に合わせて話してくれたとのことでした。
その他にも、サンノゼ太鼓の練習場で共同創立者であるロイ、PJ・ヒラバヤシ夫妻に指導してもらい皆で太鼓を叩く体験をしたり、日本町で昼食を食べた後そぞろ歩きし、Shueidoで並んで名物のまんじゅうを一人一人が購入したり、サンノゼの日本をしっかり体験してもらったようです。
このセンターは、総領事だより16(もう訪れましたか?先人の道程を辿る11の日米近代史跡)でも紹介したとおり、来たるべく対日戦争準備のために米陸軍が極秘裏に設立した軍任務遂行のための日本語話者養成学校の跡地を、サンフランシスコ日本町に本部があるNational Japanese American Historical Societyが運営し、歴史継承のために供しているところです。日系アメリカ人の歴史、日米近代史、そしてアメリカの歴史についての理解を深めるのにはとても良い場所ということで、妻は次男が通っている現地の中学校に働きかけて今春に参観に来てもらいました。雄弁な語り手であるナオミ・シバタさんに依れば、中学生達がただ話を聞くばかりでなく積極的に質問してくれとても良い機会になった、特に「その時の子供達の心のケアはどうしていたんですか」という質問が出て来たのには感銘を受けたとのことでした。 また、妻は今年5月にLSFCCのメンバー達も数人連れていきました。当時の日本と各国の関係は様々ですし、もともと重いテーマですが、ナオミさんが、最初にコーヒーを飲みながらゆっくり話をしてから見学する、というツアーをうまく組んでくれました。「収容所の集団食事生活で家族の団らんが崩壊する中、母としていかに子供を守り家族の絆を維持するか」という観点で議論が白熱したようです。
なお、ナオミさんは、今年5月に海上保安大学校練習船「いつくしま」が遠洋航海訓練で当地に寄港してセンターを来訪した練習生相手にも話をしてくれました。「いつくしま」が船上パーティをした時にもナオミさんは来てくれ、その時の縁で、ANAの加藤一徳サンフランシスコ支店長(一緒にマンザナール慰霊祭にも行きました:総領事だより20)がオフィスの仲間10人弱を連れてごく最近にMISセンターに来てくれたという話も聞いています。


サンノゼ日系アメリカ人博物館へのツアー
サンフランシスコから南に70キロほど下ったところにあるサンノゼは今はシリコンバレーの中心ですが、昔は一面農地で、日系人が多く住みつき農業に従事しました。今も残るサンノゼ日本町の中に珠玉のような小さな日系アメリカ人博物館があります(総領事だより16)。初めて家族で訪れたときの理事長のマイケル・セラさんの語り口はとても軽妙洒脱で、妻も子供達もとても良い印象を持ちました。その後、妻は総領事館の家族、そして、LSFCCのメンバーを連れて訪問ツアーを実施しています。
総領事館員には、私からは常々、何を担当していても各人館員として日本を代表している立場にあるのだから、在留邦人を率先する心意気で、日系人の歴史の理解に努めてほしいと伝えているところです。その文脈で言えば、妻が、昨年春に館員家族を対象にツアーを企画・実施してくれたのはありがたいと思いました。
また、妻は昨春にLSFCCのメンバーを連れて行くツアーも実施しました。10人以上が参加してくれましたが、当然このような博物館の存在も、そして日系人の歴史も知らなかったので、再現された収容所の薄暗い部屋に入る体験も含め、とても新鮮だったようです。マイケルさんも、今回は英語で、聞く人の背景や関心に合わせて話してくれたとのことでした。



その他にも、サンノゼ太鼓の練習場で共同創立者であるロイ、PJ・ヒラバヤシ夫妻に指導してもらい皆で太鼓を叩く体験をしたり、日本町で昼食を食べた後そぞろ歩きし、Shueidoで並んで名物のまんじゅうを一人一人が購入したり、サンノゼの日本をしっかり体験してもらったようです。
メトロポリタンクラブでの「総領事館ナイト・ジャパン」の開催
女性の会員制クラブのメトロポリタンクラブは、サンフランシスコ市内にある由緒あるクラブで、この町の錚々たるご婦人方が入っています。妻がこのクラブと領事団を結びつけた際に、クラブ側から妻に対し、せっかく国際色を持ち込んでくれるのだから定期的に夕食会を企画したく手伝ってくれないか、その際には各総領事からは国の紹介をしてくれないか、との依頼がありました。妻と相談して、せっかくなら初回は日本がやろうということで、今年1月24日の第一回を引き受けることを快諾しました。
日本を紹介するのなら「気張ろう」ということで、未だ知名度の低い焼酎をぜひ宣伝をしようということにしました。昨年末に地元産品のプロモーションのために大分県から副知事が来られ、年末に妻の実家の大分で知事と会食した縁で、大分県産の焼酎いいちこの協力を得て商品を提供してもらうことにしました。また日本酒は、カリフォルニアの水源となっているシエラネバダの地でユニークな日本酒醸造に挑戦する月桂冠に出展をお願いしました。食事前のカクテルタイムにて、いいちこにはその場でオレンジやレモンを生搾りして酎ハイにして提供してもらいましたが、とても見栄えがして好評でした。焼酎と日本酒の説明を5分ずつしてもらったのが面白く大いに受けて、ブースに人だかりができていました。食事の方は、クラブ側の日本大好きシェフが妻と何回も相談した上で、日本タッチの美味しい食事を出してくれました。それに合わせ、バークレーで日本人の中村倫久さんが造っているノリア・ワインも提供していただきました。食事の合間に少し喋ってほしいとのことでしたので、私からは、サンフランシスコという町の日本にとっての意味合い、および日本という国の魅力について、diversity, continuity, aestheticという三つのキーワードを使って説明しました。
妻の多大なインプットでできた「日本」の夕食会、来てくれたお客様達から大好評で、良い発信機会となったと思います。
アジア総領事夫妻を招いた公邸レセプション開催
最後に一つ。昨年5月、当館はアジア系米国人太平洋諸島民(Asian American & Pacific Islander: AAPI)ヘリテージ月間を祝う一環として公邸でレセプションを開催しました (総領事便り11)。今年は中央図書館で酒と焼酎のプロモーションイベントを開催しています。前半のプログラムでは、カレン・コレマツさんが第二次世界大戦中に日系人強制収容に反対して戦った亡き父フレッド・コレマツ氏の功績を紹介しました。APA ヘリテージ財団代表のクラウディン・チェン氏は、中華系の立場から日系アメリカ人との協力について話してくれました。その後、大関のお酒で鏡開きの後はその試飲ブースを設け日本酒のPRを行いました。
このイベントはやはり当地アジア太平洋各国総領事館からの出席が非常に重要となりますが、全アジア総領事夫妻が勢揃いするイベントとなりました。また、妻が女性陣達に民族衣装での参加を呼びかけてくれたので、とても華やかな会となりました。妻にも挨拶してもらったのですが、「みなさん仲間とは、私の旦那よりも距離が近く、1日に1回、いや2回、3回と会う時もある」と発言して、大いに受けていました。
以上、日本町散策から様々な世界の方々との交流まで、妻の操は明るい笑顔で活躍してくれ、着実に日本の存在感を高めてくれていると思います。私の当地での活動が有意義なものであるとすれば、このような妻の「外」助の功のおかげと思っています。
女性の会員制クラブのメトロポリタンクラブは、サンフランシスコ市内にある由緒あるクラブで、この町の錚々たるご婦人方が入っています。妻がこのクラブと領事団を結びつけた際に、クラブ側から妻に対し、せっかく国際色を持ち込んでくれるのだから定期的に夕食会を企画したく手伝ってくれないか、その際には各総領事からは国の紹介をしてくれないか、との依頼がありました。妻と相談して、せっかくなら初回は日本がやろうということで、今年1月24日の第一回を引き受けることを快諾しました。
日本を紹介するのなら「気張ろう」ということで、未だ知名度の低い焼酎をぜひ宣伝をしようということにしました。昨年末に地元産品のプロモーションのために大分県から副知事が来られ、年末に妻の実家の大分で知事と会食した縁で、大分県産の焼酎いいちこの協力を得て商品を提供してもらうことにしました。また日本酒は、カリフォルニアの水源となっているシエラネバダの地でユニークな日本酒醸造に挑戦する月桂冠に出展をお願いしました。食事前のカクテルタイムにて、いいちこにはその場でオレンジやレモンを生搾りして酎ハイにして提供してもらいましたが、とても見栄えがして好評でした。焼酎と日本酒の説明を5分ずつしてもらったのが面白く大いに受けて、ブースに人だかりができていました。食事の方は、クラブ側の日本大好きシェフが妻と何回も相談した上で、日本タッチの美味しい食事を出してくれました。それに合わせ、バークレーで日本人の中村倫久さんが造っているノリア・ワインも提供していただきました。食事の合間に少し喋ってほしいとのことでしたので、私からは、サンフランシスコという町の日本にとっての意味合い、および日本という国の魅力について、diversity, continuity, aestheticという三つのキーワードを使って説明しました。
妻の多大なインプットでできた「日本」の夕食会、来てくれたお客様達から大好評で、良い発信機会となったと思います。


アジア総領事夫妻を招いた公邸レセプション開催
最後に一つ。昨年5月、当館はアジア系米国人太平洋諸島民(Asian American & Pacific Islander: AAPI)ヘリテージ月間を祝う一環として公邸でレセプションを開催しました (総領事便り11)。今年は中央図書館で酒と焼酎のプロモーションイベントを開催しています。前半のプログラムでは、カレン・コレマツさんが第二次世界大戦中に日系人強制収容に反対して戦った亡き父フレッド・コレマツ氏の功績を紹介しました。APA ヘリテージ財団代表のクラウディン・チェン氏は、中華系の立場から日系アメリカ人との協力について話してくれました。その後、大関のお酒で鏡開きの後はその試飲ブースを設け日本酒のPRを行いました。
このイベントはやはり当地アジア太平洋各国総領事館からの出席が非常に重要となりますが、全アジア総領事夫妻が勢揃いするイベントとなりました。また、妻が女性陣達に民族衣装での参加を呼びかけてくれたので、とても華やかな会となりました。妻にも挨拶してもらったのですが、「みなさん仲間とは、私の旦那よりも距離が近く、1日に1回、いや2回、3回と会う時もある」と発言して、大いに受けていました。



以上、日本町散策から様々な世界の方々との交流まで、妻の操は明るい笑顔で活躍してくれ、着実に日本の存在感を高めてくれていると思います。私の当地での活動が有意義なものであるとすれば、このような妻の「外」助の功のおかげと思っています。
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