総領事便り
令和7年7月25日

総領事便り23
~日本、日本人とは?~
~日本、日本人とは?~
令和7年 (2025年) 7月25日
在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
日本ってどんな国なんだろう?こんなこと、日本で生まれ育った私は考えたことがありませんでした。それが外務省に入り、海外生活でざらざらとした異国の違和感を感じ、翻って日本及び日本人について考えることになりました。東京勤務の時に茶道を始めたのも、遅まきながら東洋の古典を読み出したのもその「答え」を探す旅の一環だったと思います。在サンフランシスコ日本国総領事
大隅 洋
サンフランシスコ勤務では、総領事として様々なスピーチの機会が多くあります(数えたら今年の上半期半年間だけで40回以上ありました)。日本の総領事なので「日本」について語ることを求められているわけですが、今回は先ず過去のスピーチを辿りながら、私なりに理解する「日本」を説明したいと思います。
序1 日本の美意識を育てた女性達~北カリフォルニア桜祭りクィーンズ・プログラムにて
北カリフォルニアの春は桜祭りから始まります。日系人の歴史の思いが詰まった祭りですが、クィーン達はその華。グランドパレード等を飾るクィーン達を選ぶこのプログラムは、華やかさだけでなく、知性、そしてリーダーシップを以てコミュニティの象徴となる若き女性リーダーの卵を選出する大会となっています。昨年4月に大会の開会に当たってスピーチした時は、明治の詩人与謝野晶子の和歌「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人みな美しき」を読み上げました。
与謝野は明治という時代をリードした女流詩人で、桜の美しさに惹かれてきた日本文学の後継者でもあります。平安時代の女性作家達は、すぐに滅びゆく美の大切さ、さりげない言葉の周囲にただよう微妙なニュアンスなどをひらがなで書き出しましたが、彼女達が高めた美意識は日本人全体の遺産となったと日本研究の大家ドナルド・キーンは述べています。スピーチでは、クィーン達には日本の美意識を昇華させた偉大な先達に倣い、次世代のリーダーとして飛翔してほしいとお伝えしました。

序2 豊かな情緒と和歌の伝統~天皇誕生日祝賀レセプションにて
日本の豊かな情緒は、私見では、和歌の系譜に凝縮されています。その伝統を具現しているのが宮中歌会始で、鎌倉時代中期の文永4年(1267年)1月15日に開催されたとの記録があり、少なくとも千年近くは続いています。
昨年及び今年の天皇誕生日祝賀レセプションでは、この伝統行事を紹介しました。そして、先人達の精神が今に引き継がれている例として、歌会始で愛子様が「幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」と詠まれていることを紹介しました。

令和6年の歌会始では、ロサンゼルス在住の方が詠まれた「かの日々に移り来し人等耕しし 大和と呼ぶ里アマンドの花」という歌も入選しています。


序3 自然への帰依~防災フォーラムにて
私が2011年の東日本大震災に遭遇して感じたのは、圧倒的な自然の力には服従するしかないという諦念です。昨年10月にサンフランシスコで実施した防災フォーラムの冒頭スピーチで、私は「あの時」人間の無力感を感じたと発言しました。
ただ一方で、調和、あるいは自然の中の一部であるという感覚、そして自然信仰は日本人の心の奥底にあると思います。自然と人間との関係について、カリフォルニア科学アカデミーのExecutive Directorで恐竜の研究をしているスコット・サンプソン博士は、多くの人は自然を自分たちの「外」にあるもの、コントロールできるものと考えがちとして批判し、人間は自然の一部であり、人間は自然を支配する対象として見るのではなく、自然を親戚のように思い愛しむことを覚えなければいけない、と話されていました。
序4 間 (ま) と非対称性について~いけばなデモンストレーションの会にて
前号 (総領事だより22) でも書きましたが、妻の操がサンフランシスコ・ガーデンクラブと、「One World: Two Voices: An Ikebana Journey」と銘打ったいけばな小原流と草月流の競演デモンストレーションを共催しました。その挨拶の際に妻からは、西洋のフラワーアレンジメントと日本のいけばなを、「埋め尽くされる空間 vs 間 (ま) 」「対称 vs 非対称」という対比で表現しました。
豪華なフラワーアレンジメントは、花瓶から花が溢れんばかりの「満ち満ちた」豊かさを演出します。アメフトや野球、バスケットの試合を観戦に行くと、会場は常に音に満たされて一瞬の静寂も思索することも許しません。それに比し、草花の間 (ま) を大事にするいけばなは、空間に静謐さを、個人の想像性の余地を残しておくが如くです。
また、遠近法や対称性が直感的な美しさを表現するのに対し、非対称のものを美しいという美意識を育てたことに日本文化の一つの大きな特質があると感じます。
私が2011年の東日本大震災に遭遇して感じたのは、圧倒的な自然の力には服従するしかないという諦念です。昨年10月にサンフランシスコで実施した防災フォーラムの冒頭スピーチで、私は「あの時」人間の無力感を感じたと発言しました。
ただ一方で、調和、あるいは自然の中の一部であるという感覚、そして自然信仰は日本人の心の奥底にあると思います。自然と人間との関係について、カリフォルニア科学アカデミーのExecutive Directorで恐竜の研究をしているスコット・サンプソン博士は、多くの人は自然を自分たちの「外」にあるもの、コントロールできるものと考えがちとして批判し、人間は自然の一部であり、人間は自然を支配する対象として見るのではなく、自然を親戚のように思い愛しむことを覚えなければいけない、と話されていました。

序4 間 (ま) と非対称性について~いけばなデモンストレーションの会にて
前号 (総領事だより22) でも書きましたが、妻の操がサンフランシスコ・ガーデンクラブと、「One World: Two Voices: An Ikebana Journey」と銘打ったいけばな小原流と草月流の競演デモンストレーションを共催しました。その挨拶の際に妻からは、西洋のフラワーアレンジメントと日本のいけばなを、「埋め尽くされる空間 vs 間 (ま) 」「対称 vs 非対称」という対比で表現しました。
豪華なフラワーアレンジメントは、花瓶から花が溢れんばかりの「満ち満ちた」豊かさを演出します。アメフトや野球、バスケットの試合を観戦に行くと、会場は常に音に満たされて一瞬の静寂も思索することも許しません。それに比し、草花の間 (ま) を大事にするいけばなは、空間に静謐さを、個人の想像性の余地を残しておくが如くです。
また、遠近法や対称性が直感的な美しさを表現するのに対し、非対称のものを美しいという美意識を育てたことに日本文化の一つの大きな特質があると感じます。
日本とは~スタンフォード大学院生への講演にて
上記のような話の一つ一つを集大成したのが、今年4月に筒井清輝スタンフォード大学教授から依頼を受け、スタンフォード大学院生のうちヘネシー・ナイト奨学生に選ばれた学生相手に、日本ツアーの事前勉強会第1回で行った講演です。日本に行ったことがない若い学生に、継続性、アニミズム的な思考が影響力を持つ最後の大文明、美意識、多様性という四つの断面から「日本」を試論として説明しました。
試論1 継続性、continuity
継続性は日本の特徴を示す一つのキーワードです。
その代表的な例が天皇家です。今上天皇は第126代の天皇陛下で、世界で一番歴史の長い皇室・王室となっています。そして和歌の伝統(序2)を紡ぎ、歴代天皇陛下が御製を詠まれています。
・「高き屋に登りて見ればけむり立つ民の竈は賑わいにけり」: 第16代仁徳天皇
・「君がため春の野にいでて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ」: 第58代光孝天皇
・「ここにても雲居の桜咲きにけりただかりそめの宿と思ふに」: 第96代後醍醐天皇
・「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」: 第122代明治天皇
正倉院御物も1300年以上前のものが丁寧に残されているわけで、このように伝統が継続していることは世界でほぼ類を見ないものがあります。
鎌倉時代から続く弓道の小笠原流は31代、安土桃山時代から続く茶道の表千家、裏千家、武者小路千家は各16、16、14代です。和菓子を作る虎屋の歴史は500年超で、虎屋のパンフレットには、慶安四 (1651) 年製の椿餅、天保七 (1836) 年製の青柳、大正七 (1918) 年製の千歳餅など歴代の生菓子が並べられています。
なぜ継続性が確保されてきたのか?それは日本が地理的に大陸から隔絶した島国であり外国からの侵略が殆ど無く、また江戸幕府開府後の400年以上に渡り国内内戦が殆ど無かったからと思います。同じ島国である英国がドーバー海峡を挟んで欧州大陸と40キロしか離れていないことに比しても、日本列島は大陸から突き出た朝鮮半島南部からでも約200キロあり、遣唐使が行き来したであろう上海~福岡間は900キロあります。このような環境に恵まれて日本文化が継続性を確保できたことは、伝統を重んじる風潮、保守性、極めることができる技能の蓄積と職人文化などを通じ、日本の社会および文化の発展に大きく影響したと思います。
試論2 アニミズム的な思考が影響力を持つ最後の大文明、Last Great Civilization with Animistic Thinking Having Major Influence
ヒトが狩猟採集民であった頃、ヒトは自然の一部でした。世界全てに霊魂や意識が宿るとし、木、石、川、山など自然を信仰しました。しかし、多神教を経て一神教に辿り着き、そしてキリスト教やイスラム教が世界に広がった今、アニミズムは多くの地域で痕跡は残るものの脇に押しやられてしまう存在となりました。
ところが日本においては、主に神道の中にアミニズム的な考え方が根強く残り、それは、自然との共生、自然との一体性などの考え方として残ってきたと思います。日本最古の神社と言われる奈良県の大神神社の御神体は背後の三輪山ですし、宮崎駿の「となりのトトロ」や「もののけ姫」もそのような文化を背景として生まれてきたものと思います。私自身は東日本大震災を通じて自然への畏怖の念を改めて覚えました。
このような考え方は、神が世界を7日間で世界を創生し人間をヒエラルキーの頂点に置いた一神教の世界、中原を統一し河川を治めるための論理的思考が発達した中国思想の世界という比較的新しい世界とは異なる、遠い過去にあった社会の世界観、自然観に近いと感じることが多々あります。当地にいるアニメ関係に詳しい当地在留経験が長い日本人に一度、なぜ日本のアニメは受けるのかと聞いたところ、「米国の若者は大人の嘘に気づいている。大人が言う単純な善悪二元論の世界に住んでいるわけでなく、良い奴も少し悪いところがあり、悪い奴も同情できるところがある、というもっと複雑な世界があり、アニメはそれを体現している。ある意味で米国の若者はアニメに救いを見出しているのではないか」との興味深い返答がありました。
サンプソン・カリフォルニア科学アカデミー所長の、人間は自然の一部であり自然を親戚のように思い愛しむことを覚えなければいけない、という発言 (序3) は大変示唆に富むのではないでしょうか。
上記のような話の一つ一つを集大成したのが、今年4月に筒井清輝スタンフォード大学教授から依頼を受け、スタンフォード大学院生のうちヘネシー・ナイト奨学生に選ばれた学生相手に、日本ツアーの事前勉強会第1回で行った講演です。日本に行ったことがない若い学生に、継続性、アニミズム的な思考が影響力を持つ最後の大文明、美意識、多様性という四つの断面から「日本」を試論として説明しました。
試論1 継続性、continuity
継続性は日本の特徴を示す一つのキーワードです。
その代表的な例が天皇家です。今上天皇は第126代の天皇陛下で、世界で一番歴史の長い皇室・王室となっています。そして和歌の伝統(序2)を紡ぎ、歴代天皇陛下が御製を詠まれています。
・「高き屋に登りて見ればけむり立つ民の竈は賑わいにけり」: 第16代仁徳天皇
・「君がため春の野にいでて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ」: 第58代光孝天皇
・「ここにても雲居の桜咲きにけりただかりそめの宿と思ふに」: 第96代後醍醐天皇
・「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」: 第122代明治天皇
正倉院御物も1300年以上前のものが丁寧に残されているわけで、このように伝統が継続していることは世界でほぼ類を見ないものがあります。
鎌倉時代から続く弓道の小笠原流は31代、安土桃山時代から続く茶道の表千家、裏千家、武者小路千家は各16、16、14代です。和菓子を作る虎屋の歴史は500年超で、虎屋のパンフレットには、慶安四 (1651) 年製の椿餅、天保七 (1836) 年製の青柳、大正七 (1918) 年製の千歳餅など歴代の生菓子が並べられています。
なぜ継続性が確保されてきたのか?それは日本が地理的に大陸から隔絶した島国であり外国からの侵略が殆ど無く、また江戸幕府開府後の400年以上に渡り国内内戦が殆ど無かったからと思います。同じ島国である英国がドーバー海峡を挟んで欧州大陸と40キロしか離れていないことに比しても、日本列島は大陸から突き出た朝鮮半島南部からでも約200キロあり、遣唐使が行き来したであろう上海~福岡間は900キロあります。このような環境に恵まれて日本文化が継続性を確保できたことは、伝統を重んじる風潮、保守性、極めることができる技能の蓄積と職人文化などを通じ、日本の社会および文化の発展に大きく影響したと思います。
試論2 アニミズム的な思考が影響力を持つ最後の大文明、Last Great Civilization with Animistic Thinking Having Major Influence
ヒトが狩猟採集民であった頃、ヒトは自然の一部でした。世界全てに霊魂や意識が宿るとし、木、石、川、山など自然を信仰しました。しかし、多神教を経て一神教に辿り着き、そしてキリスト教やイスラム教が世界に広がった今、アニミズムは多くの地域で痕跡は残るものの脇に押しやられてしまう存在となりました。
ところが日本においては、主に神道の中にアミニズム的な考え方が根強く残り、それは、自然との共生、自然との一体性などの考え方として残ってきたと思います。日本最古の神社と言われる奈良県の大神神社の御神体は背後の三輪山ですし、宮崎駿の「となりのトトロ」や「もののけ姫」もそのような文化を背景として生まれてきたものと思います。私自身は東日本大震災を通じて自然への畏怖の念を改めて覚えました。
このような考え方は、神が世界を7日間で世界を創生し人間をヒエラルキーの頂点に置いた一神教の世界、中原を統一し河川を治めるための論理的思考が発達した中国思想の世界という比較的新しい世界とは異なる、遠い過去にあった社会の世界観、自然観に近いと感じることが多々あります。当地にいるアニメ関係に詳しい当地在留経験が長い日本人に一度、なぜ日本のアニメは受けるのかと聞いたところ、「米国の若者は大人の嘘に気づいている。大人が言う単純な善悪二元論の世界に住んでいるわけでなく、良い奴も少し悪いところがあり、悪い奴も同情できるところがある、というもっと複雑な世界があり、アニメはそれを体現している。ある意味で米国の若者はアニメに救いを見出しているのではないか」との興味深い返答がありました。
サンプソン・カリフォルニア科学アカデミー所長の、人間は自然の一部であり自然を親戚のように思い愛しむことを覚えなければいけない、という発言 (序3) は大変示唆に富むのではないでしょうか。

試論3 多様性、diversity
日本は小さい国だと日本人自身が思っていますが、実際はそうでもなく、列島として延伸性に富み、与那国島から択捉島北端までの距離は、欧州で言えばパリからエルサレム、米国で言えばサンフランシスコからシカゴを超えてデトロイトに至る距離に相当します。亜熱帯の沖縄から冬には流氷が押し寄せる北海道まで、方言、伝統の郷土まつり、海の幸・山の幸などそれぞれの郷土料理や地酒など、多種多様なものがあります。
そして、季節感。当地はシリコンバレーまで行くと年中晴れていて気持ちがいいのですが季節感を失ってしまいます。他方で日本は、春夏秋冬と四季がはっきりしており、それが日本文化の感性をとても豊かにしていると思います。春霞、苔清水、山錦、雪あかり、という言葉が鮮明に季節の情感を伝えます。このように折々の四季があるということは世界でもとても「有り難き」ことと思います。 また、八百万の神々がいるように、そして神社と仏閣が共存してきたように、我が国においては一つの価値観が排他的になることなく、多様な価値観が共存し、包摂的であったということもあります。
試論4 美意識、aesthetic
人は美しいものに憧憬を持つものと思います。日本文化は高度な美意識を生み出しました。訪日した友人達が異口同音に驚嘆する日本の清潔さも、日本人の美意識からしてある意味当然で、日本人として「それ未満はあり得ない」ということなのだと思います。ロサンゼルスの空港待合で次男が偶然に隣り合わせたイスラエル人の若手起業家とNARUTOの話で意気投合していたので、彼にアニメの魅力について聞いたところ、その答えは、「Because that is beautiful!」でした。
それでは何が日本人の美意識を形成してきたのか。日本の美意識に大きな影響を与えてきた茶道に翻って考えてみると、三つの要素が流れ込んできているのかと思います。第一には日本人の自然との関係、あるいは自然観 (序3)。多民族が興亡した大文明の下に生きてきた中国人が「天」あるいは「天命」を意識し、壮大さや整然とした美しさを志向するのに対し、日本人はより自然と密着し、(今度の震災もそうですが) 暴虐な自然へ帰依せざるを得ないというところに原点があるように感じます。第二に、女流文学者達が表現した儚い美しさや「もののあはれ」につながる哀感 (序1)。一流女性文学家の美意識が、その頃発明されたひらがなを武器に、文字となって現代に伝わっています。第三に武士の勃興とともに広まった禅の影響。戦いを生業として生死の境にいつも身を置き、簡素な生活を旨とした武士達は、質素で自己鍛錬を要求する禅という新しい信仰を受け入れました。この禅宗の影響が、日本人古来の自然観、女流文学の繊細性と相まって、閑寂・清澄な世界あるいは枯淡の境地という、「わび」「さび」の美意識に昇華していったのではないでしょうか。
当地にいて多くの人から、「訪日して感銘を受けた、日本は特別な国だ」と聞きますが、自分には、さまざまな場面で表出する日本文化の美意識が彼らの心の琴線に触れたからと思われます。アニメやマンガについて言えば、クリエイターの筆に乗り移って日本文化の世界観や美意識が表現され、それが読者の心に響いているのではないでしょうか。
日本は小さい国だと日本人自身が思っていますが、実際はそうでもなく、列島として延伸性に富み、与那国島から択捉島北端までの距離は、欧州で言えばパリからエルサレム、米国で言えばサンフランシスコからシカゴを超えてデトロイトに至る距離に相当します。亜熱帯の沖縄から冬には流氷が押し寄せる北海道まで、方言、伝統の郷土まつり、海の幸・山の幸などそれぞれの郷土料理や地酒など、多種多様なものがあります。
そして、季節感。当地はシリコンバレーまで行くと年中晴れていて気持ちがいいのですが季節感を失ってしまいます。他方で日本は、春夏秋冬と四季がはっきりしており、それが日本文化の感性をとても豊かにしていると思います。春霞、苔清水、山錦、雪あかり、という言葉が鮮明に季節の情感を伝えます。このように折々の四季があるということは世界でもとても「有り難き」ことと思います。 また、八百万の神々がいるように、そして神社と仏閣が共存してきたように、我が国においては一つの価値観が排他的になることなく、多様な価値観が共存し、包摂的であったということもあります。




試論4 美意識、aesthetic
人は美しいものに憧憬を持つものと思います。日本文化は高度な美意識を生み出しました。訪日した友人達が異口同音に驚嘆する日本の清潔さも、日本人の美意識からしてある意味当然で、日本人として「それ未満はあり得ない」ということなのだと思います。ロサンゼルスの空港待合で次男が偶然に隣り合わせたイスラエル人の若手起業家とNARUTOの話で意気投合していたので、彼にアニメの魅力について聞いたところ、その答えは、「Because that is beautiful!」でした。
それでは何が日本人の美意識を形成してきたのか。日本の美意識に大きな影響を与えてきた茶道に翻って考えてみると、三つの要素が流れ込んできているのかと思います。第一には日本人の自然との関係、あるいは自然観 (序3)。多民族が興亡した大文明の下に生きてきた中国人が「天」あるいは「天命」を意識し、壮大さや整然とした美しさを志向するのに対し、日本人はより自然と密着し、(今度の震災もそうですが) 暴虐な自然へ帰依せざるを得ないというところに原点があるように感じます。第二に、女流文学者達が表現した儚い美しさや「もののあはれ」につながる哀感 (序1)。一流女性文学家の美意識が、その頃発明されたひらがなを武器に、文字となって現代に伝わっています。第三に武士の勃興とともに広まった禅の影響。戦いを生業として生死の境にいつも身を置き、簡素な生活を旨とした武士達は、質素で自己鍛錬を要求する禅という新しい信仰を受け入れました。この禅宗の影響が、日本人古来の自然観、女流文学の繊細性と相まって、閑寂・清澄な世界あるいは枯淡の境地という、「わび」「さび」の美意識に昇華していったのではないでしょうか。
当地にいて多くの人から、「訪日して感銘を受けた、日本は特別な国だ」と聞きますが、自分には、さまざまな場面で表出する日本文化の美意識が彼らの心の琴線に触れたからと思われます。アニメやマンガについて言えば、クリエイターの筆に乗り移って日本文化の世界観や美意識が表現され、それが読者の心に響いているのではないでしょうか。
結語
スタンフォード大学の大学院生達はその後6月に訪日し、東京、京都、広島を訪問し、サントリーの新浪剛史会長から岸田文雄前総理、湯崎英彦広島県知事等に会い、また、都市部や名跡ばかりではなく、新幹線の指令室から大崎上島のNEDO施設まで訪問し、とても良いツアーを終え、参加者からは「人生を変える体験だった」という感想が多数寄せられているとのことです。また、私が四つの切り口の一つの「継続性」を説明するときに使った虎屋の歴代の生菓子の写真が印象に残ったようで、京都では和菓子作りを体験したそうです。
私は一年半前に「日本文明は世界文明へ大きく貢献できる価値を有し、日本文化は世界の文化をより多様でとても豊かにする存在と確信しています」と書きましたが (総領事だより4)、自然との一体感、他人への気遣い、異なる価値観の共生と包摂、職人気質、透徹した美意識等を敷衍すれば、益々その確信は強くなっています。しかしそれを当然視はできない。海外の識者には、かくも高度な日本文明・日本文化が人口減少とともに活力を失っていくのではないかとの恐れと悲しみを抱いている人もいます。日本文化を継承し、知らず知らずの間に内在化させてきている全ての人達が意識してこの財産を紡いでいくことは、大きく言えば人類のための、我々の使命だと思います。
私もそのために今後も努力していきたいと思っています。
スタンフォード大学の大学院生達はその後6月に訪日し、東京、京都、広島を訪問し、サントリーの新浪剛史会長から岸田文雄前総理、湯崎英彦広島県知事等に会い、また、都市部や名跡ばかりではなく、新幹線の指令室から大崎上島のNEDO施設まで訪問し、とても良いツアーを終え、参加者からは「人生を変える体験だった」という感想が多数寄せられているとのことです。また、私が四つの切り口の一つの「継続性」を説明するときに使った虎屋の歴代の生菓子の写真が印象に残ったようで、京都では和菓子作りを体験したそうです。

私もそのために今後も努力していきたいと思っています。
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